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Channel: Club SKRAM ~もはねの小部屋~
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嗚呼・・国鉄時代 (481)

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DD51牽引の10000系高速貨車が疾駆しています。
DD51のボンネット上には補助灯が付けられていますので、北海道であるのは説明するまでもないかと思います。となれば、この画像は室蘭本線で撮ったものでしょうか?

“三ツ目” のDD51は、晩年、磐越西線で最後の活躍をした745号機が有名ですが、その745号機も元々は北海道の五稜郭機関区にいた機関車です。
この補助灯が何故必要だったのかは特に説明は要りませんが、知らない人のために説明すれば、冬季における吹雪等の安全確保と視界の確保 (視界確保も安全確保の一部ですが) を目的に、前照灯の予備も兼ねて備え付けられたものです。この思想は後に電車の711系にも波及し、後付けで前面方向幕上に補助灯を2個取り付けられましたよね。それから、485系1500番代や781系は新製時から補助灯を2つにして落成しました。

DD51の補助灯取り付け改造は昭和47年頃から行われ、該当機は710、716、741、742、745の5両。
画像を拡大すれば機番が判るかと思いますが、741と読めます。500番代に含まれますが、当初、500番代は半重連形として設計されましたが、593号機以降は全重連形になりました。半重連形は重連運転時に必要な釣り合い引き通し管 (ERP) を装備せず、元空気管 (MRP) のみを装備するタイプで、重連運転する際は本務機が単独ブレーキ弁を操作した時は、本務機のみにブレーキが作動して補機のブレーキは作動しない仕組みになっています。
全重連形は、ERPを装備して、重連運転時で本務機から単弁操作した場合に、ERPの指令によって補機も単弁が作動するというもの。また、ブレーキ力の増大によって中間台車にも基礎ブレーキ装置を取り付けました。ブレーキ付き中間台車のTR106型を履いたのは548号機以降ですが、後に名古屋鉄道管理局の欧風客車 「ユーロライナー」 の牽引機に抜擢された592号機もTR106装備の半重連形になります。

一方、牽引される側の10000系ですが、北海道に進出したのは昭和43年からで、北海道仕様が製造されました。コキ10000は8000番代に、コキフ10000は500番代とそれぞれ番代区分されています。ただ、DD51には空気管付き密着自動連結器は装備されないことから、道内においては10000系貨車ならではの本領は発揮せず (出来ず) 、普通の貨物列車的な扱いだったのかなと思ったりします。もっとも、空気管の役割は貨車が履いているエアサスのTR203に空気を送り込むためと、同時に繋がる空気管を確実に連結するために連結時の隙間を最小限にするためだとされています。最高速度100km/h走行が売りの10000系なので、当然、ブレーキの効きもそれに対応したものでないといけません。

コキ10000系はその特殊な仕様であるがために、製造コストが他の貨車に比べて割高で、それ故にメンテナンスも煩雑なことから、本州仕様と寒冷地仕様と合わせて516両が製造されただけに留まり、以降はコキ50000形がコンテナ列車の主役となります。JRにも継承されましたが、すぐにコキ100系といった次世代貨車が登場し、平成6年を最後に運用から外れ、その2年後に全廃されています。

コンテナによる貨物輸送は国鉄末期に主力となりますが、10000系登場時はまだ手探り状態だったのも否めません。エリートあるいは別格扱いだったとも言えるでしょうし、いずれにしても、その時代の主力であった車扱い貨物列車とは一線を画していたのは確かです。時代を先取りし過ぎたのかもしれませんね・・・。

【画像提供】
タ様
【参考文献・引用】
鉄道ファン No.245 (交友社 刊)
ウィキペディア (国鉄DD51形ディーゼル機関車、国鉄コキ10000形貨車)


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