人それぞれの思いはあるにせよ、非電化区間の “女王” はこのキハ82系をおいて他には無いと私は思います。当然のことながら、鉄道車両に男女の性別は無く、見る人それぞれの思いで男になったり女になったりします。このキハ82系はどちらかというと女性っぽいイメージを醸しますけど、それは単にボディの美しさだけではないような気がします。幼少の頃はそういう風には見なかったけど。
昭和36年にデビュー以来、非電化区間に設定された特急列車に次々と投入されて、非電化区間におけるスターの座を欲しいままにしたキハ82系も、昭和50年代になると老朽化が見え隠れして、加えて485系や583系、あるいは183系といった電車特急や14系、24系といった 「ニューブルートレイン」 が当時のガキどものハートをガッチリと掴むと、キハ82系は次第に脇に追いやられるようになります。キハ82系だけでなく、20系客車や181系電車も同じ立場だったのかもしれません。ただ、それでも北海道や山陰を中心に働き場所はまだまだ残されており、 「おおぞら」 や 「おおとり」 、あるいは 「まつかぜ」 のように長距離運用もありましたから、 「あたしゃ、まだまだ動けるわよ」 と言わんばかりに、八面六臂の活躍を見せていたのです。
その中でも北海道はキハ181系の入線を認めず、キハ183系の登場までキハ82系の独断場で、北の大地を縦横無尽に駆け巡っていました。そのキハ183系だって試作車の登場から量産体制に入るまで1年以上を要しているので、後釜が出来ても、ある程度信頼性が確立されるまでキハ82系は働かざるを得ませんでした。
北海道の特急といえば、やはり 「おおぞら」 を真っ先に思い浮かべる方も少なくないかと思いますが、何だかんだ言っても北海道を代表する列車ですよね。運転開始当初は函館-旭川間 (室蘭本線、千歳線経由) だったのが、昭和37年には早くも札幌で切り離した編成を釧路まで延長させて、 「おおぞら=釧路特急」 の図式が出来上がりました。また、10両だった編成も11、12両と伸ばしていき、最盛期には13両編成にまで発展しました。如何に北海道の特急列車の需要が高かったのかが解ろうもの。千歳空港はあったものの、航空機網は発達しておらず、本州対北海道の輸送シフトが鉄道に依存していた頃、東京でも大阪でもまずは青森まで行き、青函連絡船を介して函館に向かうのが当時のお約束でした。そのため、一部の列車を除いて基本的には青函連絡船の発着に合わせたダイヤを組んでいました。北海道側も 「オホーツク」 と 「いしかり」 を除いて全て函館発着でしたからね。それも次第に千歳空港を意識した札幌中心のダイヤに移行していき、昭和55年に千歳空港駅 (現在の南千歳駅) が開業すると、完全に立場は逆転し、函館発着の特急は少しずつ減らされていきます。このような状況で昭和57年11月のダイヤ改正では 「おおぞら」 の全列車がキハ183系化されまして、国鉄最後のダイヤ改正となった昭和61年11月には最後まで残っていた函館発着の 「おおぞら」 が札幌発着に切り換えられて、この段階で函館を起点・終点とする特急は 「北斗」 だけになり民営化を迎えます。
あれからだいぶ時間が経っていますが、青函トンネルにも函館にも新幹線が通るようになり、函館から札幌への延伸工事も進んでいます。そして登場から56年、 「おおぞら (スーパーおおぞら) 」 はキハ283系によって今も運転されていますが、JR北海道による近年の度重なる事故・不祥事によって、鉄道輸送が危機的状況であるのは皆さんもご存じのことかと思います。道内移動も航空機や高速路線バスが勢力を増しているので、本腰を入れて改革に臨まないと、JR北海道の存亡すら危ういのではないでしょうか・・・。
【画像提供】
タ様
【参考文献・引用】
鉄道ファン No.368 (交友社 刊)
キャンブックス 「キハ82物語」 (JTBパブリッシング社 刊)
ウィキペディア (おおぞら)