今回の 「嗚呼・・国鉄時代」 は、 「模型の部屋」 とのコラボ企画にしたい1枚です。
古くからの鉄道模型愛好家、Nゲージ支持者、そしてトミックス信者は、この車両を見ると涙が出るのではないでしょうか。111・113系 (以下、113系と一括りします) グリーン車の中では特異中の特異な車両であるサロ112を初めて知ったのはご多分に漏れず、Nゲージのトミックス製品からでした。当時、小学生でしたが、113系にはグリーン車があることは一応は知っていました。でも、ご多分に漏れず “日の字窓” が連続するサロ110であったり、サロ111であったりしました。だから、トミックスのサロ112を見た時、 「これは113系のグリーン車じゃないよ」 って一人で憤慨し、同じNゲージを買った友達に 「この車両は存在しないんだよ」 って言ったのを思い出します。でも、存在していたんですよね。今は懐かし、同じトミックスの 「レイアウトプラン集・2」 の最後のページで、 「実物写真を見て、レイアウト製作の参考にしませう」 というような主旨のページに東海道本線有楽町-新橋間を走る113系が掲載されていますが、4両目に連結している車両こそ、サロ112だったりします。もっとも、全31両しか存在せず、尚且つ大半が関西にいたことから、東京在住の私には馴染みが薄いのも否めません。
ご存じのように、サロ112は急行形153系のサロ152を改造した車両です。
153系にはサロ153という二等車がありましたが、準急から急行に使用用途が広がると、サロ153ではホスピタリティ的に見劣りするようになり、半室食堂車サハシ153とともにリクライニングシートを装備したサロ152が新製されました。
サロ153は小型のユニット窓が連続する窓配置でしたが、サロ152は157系用のサロ157に倣って下降式の開閉窓を二個一組にした窓配置として、これが後々の急行用グリーン車の標準スタイルとなります。なお、サロ153は登場当初は二等車でしたが、昭和35年の等級制改正によって、一等車となり、サロ152は最初から一等車としての登場となります。
昭和30年代後半、準急と急行の一等車は冷房を搭載することにしたことから、153系の一等車には目下製造中だったサロ165を充てることになり、非冷房だったサロ153を近郊形113系に転用することになりました。これがサロ110となります。サロ152については、一部で冷房改造が施されていましたが、 「改造するくらいだったら、サロ165を新製しちゃえ」 とばかりに、サロ152の冷房改造は半分の15両で中止されました。そして残った半分の非冷房サロを113系用に転用しまして、これがサロ112となります。
サロ112もジャンパ栓の変更 (KE57A→KE58) だけに留め、内装は153系時代と基本的な変更はありません。R21型リクライニングシートも残されました。昭和44年からは冷房付きのサロ152も113系化されることになり、結果的に30両全車がサロ112になりました。サロ152のサロ112化が完了したのは昭和50年のことです。そしてもう1両、153系の出力アップ版と申しましょうか、165系の平坦線バージョンと申しましょうか、163系が計画されてその第一陣として昭和39年に一等車のサロ163が7両ほど製造されました。しかし、平坦線向けでも165系の製造を継続した方が得策と判断されて、163系はサロ163の7両だけで終わってしまいました。サロ163は153系に組み込まれて使用されましたが、1両だけサロ163-7が113系に編入されてサロ112の50番代となりました。
サロ152とサロ112の番号対比は、種車時代と変化せず、種車の改造 (MG・CP取り付けによる200番代 (後に100番代に再改番) への改造) によって飛び番が生じているものの、基本的はサロ152-1→サロ112-1といった具合に種車の番号をそのまま生かしています。画像のサロ112-25はご多分に漏れず、種車はサロ152-25です。新製配置は静岡で、大垣や宮原、田町がメインだったサロ152の塒としては、静岡の配置は稀有な存在でした。
冒頭、サロ112の大部分が関西にいたということをお伝えしましたが、サロ163からの改造を含む全31両のうち、7割強の21両が関西、それも1両を除いて高槻電車区 (大タツ~現在のJR西日本網干総合車両所高槻派出所) に集中配置されていました (残りの1両は宮原電車区) 。
東日本では大船電車区 (南フナ~現在のJR東日本鎌倉総合車両センター) に集中配置されておりまして (残りの1両は静岡運転所) 、東海道線に投入されていましたが、トミックスの模型にあるスカ色のサロ112はさすがに存在しませんでした。ただ、サロ165-14が115系を使用した臨時急行 「かいじ」 に組み込まれた際、115系に合わせるためにスカ色に塗られましたけど、スカ色のサロ112はサロ165-14だと思って使用すれば雰囲気はバッチリだと思います。
関西のサロ112は主に東海道・山陽線の快速電車に組み込まれ、宇野線にも入線しました。平成生まれのお子ちゃま鉄道ファンにしてみれば、俄に信じられない光景だと思いますが、画像も東海道・山陽線の快速電車です。サロ112の次位には新快速色のクハ111が組み込まれており、バラエティに富んだ編成となっています。新快速がまだデータイムのみの運行だった頃、京阪神間の速達列車は快速が圧倒的な地位を得ていました。勿論、速さでは新快速に及びませんが、新快速にはグリーン車が連結されませんでしたし、国鉄本社の圧力によって複々線の外側線 (列車線) を使用出来なかったこともあり、新快速を主体にしたダイヤでもその本領は国鉄末期まで発揮されませんでした。そういう意味で、快速は地位的には新快速よりも上だったのかなという気がします。ただ、グリーン車はいつもガラガラだったそうで、関西ではグリーン車に乗る風潮がなかったのか、はたまた単なるドケチだったのかはよく判っていません。芦屋の人達が乗りそうな感じですけど、芦屋と大阪はそんなに遠くないし、あの頃の芦屋の人々は皆、阪急に乗っていたんじゃないかって。
元、急行用のグリーン車ということで、豪華さが強調されたのは良いんですが、一段下降窓がその寿命を縮めることになります。雨水という名のがん細胞がサロ112を蝕むようになり、157系同様にその腐食度合いは想像を絶するものになり、次々と引退に追い込まれまして、昭和54年までに全廃されて形式消滅しています。関西のグリーン車も昭和55年に全て編成から外され、サロ113を始めとして関東に転じた車両もありました。
サロ112が全廃されて6年後、再び急行用サロから転じた車両が現れました。サロ165-130を改造したサロ110-401。 「サロ112の再来」 と当時は言われましたが、サロ165時代に田の字窓のユニット窓に改造されていて、雰囲気だけ似ているにすぎませんでした。国鉄末期、老朽化したサロ110やサロ111の代替等で他形式からの改造車が次々に登場しましたが、その時は急行形ではなくて特急用のサロを113系に編入しました。また、165系の付随車 (サハ165) をサロ110 (500番代) 化した車両もありましたが、出世なのか降格なのかイマイチよく解らないサロ110でした。
グリーン車がまだ近郊形電車のステイタスだった頃の1枚です。
【画像提供】
ヤ様
【参考文献・引用】
鉄道ピクトリアル No.707、803、867 (いずれも電気車研究会社 刊)
キャンブックス 「111・113系物語」 (JTBパブリッシング社 刊)
季刊 j train Vol.17 (イカロス出版社 刊)
ウィキペディア (高槻電車区)