これもまた、 「昔々、あるところに・・・」 的な画像になりますが、当時流行だった正面2枚窓の 「湘南スタイル」 の前面形状を持ったこの電車、京浜急行であるのは特に説明は要らないかと思います。京急で 「湘南スタイル」 の前面形状を持った電車といえば、600形、400形、500形がまず思い浮かびますけど、実はもう一つ、 「湘南スタイル」 の電車があったんです。約20年にわたって356両が製造され、そして登場から半世紀にわたって運用され続けた京急を代表する車両といえば・・・。そう、初代の1000形になります。それを聞いた平成生まれのお子ちゃま京急ファンは、きっと腰を抜かすかと思いますが、私ども “昭和の鉄道ファン” だって、正面非貫通時代の1000形はリアルタイムではありません。
1000形の歴史を紐解くと、1958年に製造された試作形式の800形に遡ることが出来ます。
後に400形となった600形と殆ど同一の車両でしたが、乗降用扉の幅に差異があります。性能は殆ど同時期に登場した700形 (後の600形) と同じで、600形と700形 (いずれも初代) の合いの子のような車両でした。
1000形が量産されても800形のまま運用に入りましたが、1965年に1000形に編入され、 1095-1096-1097-1098の編成となります。正面に貫通扉を設置したのは1973年のこと。ですから、40年以上前のことですが、比較的最近のことだったんですね。
この800形の試験結果を基に、1959年から量産体制に入りますが、そのまま800形とはせずに、新たに1000形としました。最初に製造されたグループ (1001~1048) は、800形に倣って前面2枚窓としましたが、車体幅が800形より些か拡大されて、低回転式で補償巻線付き仕様の主電動機が搭載されました。
このグループは非貫通のため、都営地下鉄1号線 (→浅草線) に乗り入れ非対応車だったのですが、1969年から1972年にかけて地下鉄乗り入れ対応と朝ラッシュ時における10両編成運転に対応するための工事が行われました。具体的には1964年に製造されたグループ (1131~1242) の6両編成から中間車 (4両) をこのグループに組み込み、先頭車だけの2両固定化しました。さらに貫通扉を付けて後続のグループと同一の仕様としました。室内電装系の電源を交流にして、ファンデリアは撤去 (扇風機に変更) 、画像でもよく判る屋根上のモニタールーフも撤去されて1968年に製造されたグループ (1207~1242) と同じ狭幅のFRP製カバーが取り付けられました。
冷房改造は1979年から1984年にかけて行われましたが、京急の冷改車に倣って分散式としました。
←浦賀 品川→1001-1002-1003-10041005-1006-1007-10081009-1010-1011-10121013-1014-1015-10161017-1018-1019-10201021-1022-1023-10241025-1026-1027-10281029-1030-1031-10321033-1034-1035-10361037-1038-1039-10401041-1042-1043-10441045-1046-1047-1048
この画像の背後に見える留置線は、金沢検車区でしょうか? とすると、画像奥が浦賀方となり、この電車は金沢文庫行きということが判ります。車番がちょっと見にくいですが、編成と照らし合わせると、デハ1008号車である可能性が大です。
このグループは1988年から廃車が始まり、このうち、12両が高松琴平電鉄に、4両が北総開発鉄道 (→北総鉄道) に譲渡されました。また、8両が京成電鉄にリースされまして後に4両は京急に戻りましたが (後に廃車) 、残りの4両は当時の千葉急行電鉄 (→京成千原線) に再リースされました。この4両も程なくして廃車になっています。北総へ転じた車両も既に廃車となっていて、現在は高松琴平電鉄に残っているだけです。琴電に転籍した12両のうち、1089 (デハ1047) と1090 (デハ1048) は2011年に廃車になりましたが、残りの10両は現在も健在です。
1081 (1011) -1082 (1012)
1083 (1019) -1084 (1020)1085 (1023) -1086 (1024)1087 (1027) -1088 (1028)1091 (1043) -1092 (1044)※:括弧内は京急時代の車号
画像の1008編成は北総転属組で、北総時代は7150形として京成高砂-新鎌ケ谷間の開通に合わせて1991年に転籍しました。1008号車を含む7151編成 (7151 (1116) -7152 (1117) -7153 (1108) -7154 (1107) -7155 (1008) -7156 (1007) -7157 (1006) -7158 (1005) ) は1998年に廃車されて、京成の宗吾工場で解体されました。
京急1000形は2010年にさよなら運転を行った後、2両が救援車の代用として残存しましたが、それも2011年に廃車になって形式消滅しました。このうち、1351と1356 (この2両が救援車代用?) が解体されずに京急ファインテック久里浜事業所に残されており、京急の祖とされる大師電気鉄道 (→京急大師線) 創業120周年を記念して、今年5月28日に開催された京急のイベント (京浜急行ファミリーフェスタ2017) で展示されたそうです。京急って自社車両の自社内保存ってあまり聞いたことがなく、鉄道模型でお馴染みの関水金属 (KATO) の本社内で展示されている230形、逗子市内の公園で展示されている600形の601号車が著名なくらいで、400形も500形も保存例は無く、譲渡や他形式 (事業用含む) への改造を除いて全車解体処分されていると思われます。700形も高松琴平電鉄への譲渡されて、自社内での保存は無いみたいですので、ということは、 “まともな” 保存例は1000形だけ? だとすれば、ちょっと寂しいですね。京急はそういう自社内における “歴史的価値” をあまり感じない事業者なんですね。
【画像提供】
ゆ様
【参考文献・引用】
高砂第一工廠
ウィキペディア (京浜急行1000形 (初代) 、700形 (初代、二代) など)