JR線上から直流急行形電車が消滅して久しいですが、しなの鉄道に譲渡された車両は昨年引退して、大フィーバーとなったのは記憶に新しいところ。そして今年は、富士急行に譲渡されて 「フジサン特急」 として活躍した車両 (元、パノラマエクスプレスアルプス) が引退するとのことで、これをもって、本当の意味で直流急行形電車の終焉となるわけで、1950年代後半から “庶民の見方” として活躍した急行形車両はいよいよ、北陸本線に残された交直両用の475系のみとなります。
これもいつの間にか消えた電車。 「つい、こないだ・・」 といっても、もう10年以上前の撮影になりますが、当時の新前橋電車区 (高シマ~現、JR東日本高崎車両センター) 所属の165系が車両更新工事を行った際に、その識別用という意味合いも含まれていたのでしょう、塗色を変更したことに始まります。車両更新工事は1988年から90年にかけて行われ、俗に 「モントレー色」 と呼ばれるようになりました。
それにしても、何で “モントレー” というのでしょうね・・?
随分前に、前橋-伊豆急下田間を走った臨時特急で 「モントレー踊り子」 という列車がありましたし、高崎駅の駅ビルが 「モントレー」 というそうですね。そして165系の 「モントレー色」 ということで、群馬県と “モントレー” は何か因縁がありそう。
アメリカ・カリフォルニア州には 「モントレー」 という町があるそうですが、そこと姉妹都市提携でもしているのかなと思いましたが、モントレー市と姉妹都市を結んでいるのは石川県の七尾市です。
最盛期には3両×11本が 「モントレー色」 に塗り替えられて、波動用として臨時列車や団体列車などで活躍していましたが、特急用の183系や189系が転入してくると、運用離脱が相次ぎ、2002年になると3両×3本の9両のみとなりました。そしてこの3本をモントレー色から湘南色に塗色を戻し、 「草津」 「ゆけむり」 「内房」 などのリバイバル急行を運転。そして2003年6月に運用を離脱して廃車されました。
画像をご覧になってもお判りのように、撮影は2001年8月。もうこの頃は運用離脱→廃車が進んでいた頃かと思われます (撮影場所は大宮駅) 。そう考えると、良い機会にこの 「モントレー色」 を撮れたんだなって思いました。
【参考文献】
鉄道ピクトリアル 2012年10月号 「特集 165・169系電車」 (電気車研究会社 刊)
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