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Channel: Club SKRAM ~もはねの小部屋~
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伊豆急行の全盛期

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世の中、好むとか好まざるとか、それぞれの趣味趣向や拘りがあって、それはそれで良い事なんですけど、やっぱり伊豆急行は100系でないとダメズラよ。2100系 「リゾート21」 も素晴らしい電車ですし、災害続きで瀕死の状態にあった伊豆急と伊豆半島を国鉄の特急 「踊り子」 とともに救ってくれたのも 「リゾート21」 でした。でも、100系は 「第二の黒船」 と呼ばれ、交通未開発地域だった伊豆半島に風穴を開けて光明をもたらし、観光地、あるいはリゾート地として大きな脱皮を図るきっかけになった立役者たる100系に対しては、伊豆の関係者は背を向けて寝られないのではないでしょうか。

そんな伊豆急ですが、バブル経済の崩壊とともに観光鉄道としての需要は激減し、2100系の5次車にあたる 「アルファリゾート21」 から20年以上、まったく新製電車が登場していないという厳しい状況が続いており、その2100系ですら、初期車は廃車されてしまっていて、常に先行き不透明な情勢に変わりはありません。

では、伊豆急行の全盛期って何時を指すんでしょうねぇ~?
人によっては、 「リゾート21」 や 「スーパービュー踊り子」 といったスター車両が次々に登場し、国鉄あるいはJRから乗り入れてくるカラフルなジョイフルトレインが大挙やって来た1980年代後半から1990年代前半だという人もいるでしょうし、リゾート地というよりも温泉客や海水浴客でごった返した1970年代だと言う人もいるでしょう。この辺りの時代背景も加味しなければなりませんが、私的には、他所様が手を加えて自然を壊して形だけのリゾート地を作り上げた前者よりも、伊豆の人々が自然を壊さず、自然のまま、その場にあるもので訪れる人々をもてなした後者の方が、本当の意味での全盛期って呼べるのではないかと思います。

そんな時期に存在したのが、100系の10両編成でした。
フォーメーションの組み方は様々でしたが、画像のようにオール100系で組成した編成もあれば、1000系を組み込んだ編成もあり、グリーン車+サハ191を組み込んだ豪華な編成もありました。サハ191というのは、かの有名な食堂車 「スコールカー」 サシ191を改造した車で、1000系が登場するまで伊豆急で唯一の冷房付き普通車でした。100系が10両編成を組むほど、伊豆急には人が押し寄せていたのです。大手私鉄以外の地方鉄道で、10両編成の電車が走るというのはあまり聞いたことが無く、もしかしたら、地方私鉄最長の編成だったかもしれません。
元々、長編成の列車は、伊東線への乗り入れ用として組成されていたのですが、最初は5両から始まって、7両、8両と次第に伸ばしていきました。そして1973年から10両編成となりましたが、夏季だけの措置ではなく、平日も10両運転はなされていたようです。

今は東急のセコハン電車が短編成 (長くて6両かな?) の電車がのんびりと走るだけの姿になってしまいましたが、伊豆縦貫自動車道が全通した時 (いつになるかわかりませんけど) 、伊豆急のアイデンティティが再度、問われそうですね。

【画像提供】
う様
【参考文献・引用】
キャンブックス 「伊豆急50年のあゆみ」 (JTBパブリッシング社 刊)
RM LIBRARY 「伊豆急100系」 (ネコ・パブリッシング社 刊)



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