私の大好きな車両に113系1500番台があります。
JR化後になりますが、113系1500番台に関しては何枚か撮ったことがありますけど、こちらは純な国鉄時代、しかも新製直後で試運転の様子を捉えたもののようです。
横須賀線と総武線快速の直通運転を翌年に控えた昭和54年、それに対する輸送力増強を目的として113系1000番台が増備されましたが (昭和53年度第二次債務) 、当時の近郊形車両は先に登場した115系1000番台や417系のように、シートピッチを従来車よりも70mmほど拡大した仕様で製造されており、スタンダードになっていました。113系1000番台も増備に際しては、他の車両同様に、シートピッチを拡大した仕様で製造されることになり、1500番台とされました。
113系1500番台の大きな特徴の一つに、クハ111のタイフォンが前照灯に並列で取り付けられた他、その前照灯とタイフォンの位置が1000番台に比べて少し高く設置されていることが挙げられます。一部媒体では 「従来の113系と1500番台とでは前照灯・タイフォンの位置は同じ」 としている記述もあるようですが、どう見たって、取り付け位置は明らかに違いますよね。以前にもお伝えしたことがあるのですが、何故、そのような記述にしたのかよく解りません ( 「形式図を優先しているからだ」 というのがその媒体の主張) 。
一次車は他のシートピッチ拡大車同様に、偶数向きクハ (1600番台) のみに便所が設置され、奇数向きクハ (1500番台) とサハには便所は設置されませんでした。
昭和55年度第二次債務で製造された増備グループ (二次車) では小規模のマイナーチェンジが実施されました。
まず、屋根布を廃止し、ポリウレタン樹脂の塗り屋根としたこと、ランボードを大きくしたこと、そして、奇数向きクハにも便所が取り付けられるようになりました (サハは変更無し) 。この仕様が私が大好きなグループになります。
画像の車両は、ヘッドマークからも判るように、兵庫県の川崎重工兵庫工場で製造された最終増備車です。この22両のみ、オール塗り屋根の編成で、同時期に田町電車区 (南チタ~後のJR東日本田町車両センター) に配置された2000番台のオール塗り屋根の増備車が早々に編成替えが行われて編成美が崩れたのに対して、1500番台の22両はJR化後もしばらくはこの編成美を崩さずに走っていました。
この22両は幕張電車区 (千マリ~現在のJR東日本幕張車両センター) に配置されましたが、編成は下記のどちらかかと思われます。
↑東京・千葉
クハ111-1505 クハ111-1506
モハ113-1519 モハ113-1522
モハ112-1519 モハ112-1522
サハ111-1510 サハ111-1511
モハ113-1520 モハ113-1523
モハ112-1520 モハ112-1523
サロ110-1273 サロ110-1275
サロ110-1274 サロ110-1276
モハ113-1521 モハ113-1524
モハ112-1521 モハ112-1524
クハ111-1605 クハ111-1606
↓横浜・横須賀
因みに、付属編成にはオール1500番台という編成が存在せず (1500番台の登場当時及びJR化後は編成の組み替え等で存在したかもしれませんが) 、15両 (13両) 全てが1500番台で組成された編成というのは残念ながら国鉄時代にはあり得ませんでした。それから当時のマリ117編成に組み込まれていたサロ110-1274はいつしか、別の編成 (マリ104編成) に組み込まれるようになり、その代わりにサロ113-1011がこの編成の中に組み込まれています。そういう意味では純なオール塗り屋根編成は当時のマリ118編成のみということになります。
背後に湘南色の113系が見えますが、関西地方での試運転ということになります。
関西でスカ色といえば、昭和45年の 「万博号」 や運転開始直後の 「新快速」 が知られていますが、すぐに塗り替えられてしまい、それからも判るように、関西ではスカ色は馴染めませんでした。ただ、一概にそうだとも言えず、阪和線の70系は最後までスカ色を守り通したし、同じ関西でも泉州地方だったら、馴染んだかもしれませんね。
同様に103系の黄色も短命に終わってしまいましたが、こういうところからも、関東と関西の色彩感覚の温度差が滲み出ていたりするんですね・・・。
【画像提供】
ウ様
【参考文献・引用】
鉄道ピクトリアル No.803 (電気車研究会社 刊)
キャンブックス 「111・113系物語」 (JTBパブリッシング社 刊)
復刻・増補国鉄電車編成表1985年版 (交通新聞社 刊)