本館1階のメインフロアに489系と583系とともに展示されているのが新幹線500系の先頭車 (521-1) です。
この車両の登場はかなりの衝撃を持って迎え入れられましたが、今もなお、人気が高いようですね。ただ、超高速で走る分、寿命も短くなってしまい、500系が500系でいられたのはわずかな期間でした。700系やN700系が本格的に東海道・山陽新幹線を席巻し始めると、500系も脇役に回ってしまい、今は 「こだま」 用として余生を過ごしています。
新幹線はもう1両、ある意味で歴史的な車両も展示されています。
東海道・山陽新幹線用の車両としては初めてのフルモデルチェンジ車両、100系です。
100系はただ速いだけでなく、二階建て車両の連結など、ホスピタリティも追求した画期的な車両で、1989年にJR西日本が増備した車両は、編成中の二階建て車両を4両として 「グランドひかり」 と別称されることとなります。当時の東海道・山陽新幹線のフラッグシップ的車両でした。
この二階建て新幹線に憧れを抱いた人も多いんじゃないでしょうか?
大阪交通科学博物館時代は、館内の隅に追いやられてまともな写真が撮れませんでしたが、今回の京都移設で車両の全体像を撮れるようになりました。
国産初の大型旅客用機関車として登場したEF52形は、後に登場するEF53やEF57の設計の基になった機関車で、詳細についてはいずれ、 「嗚呼・・国鉄時代」 のコーナーでお伝えする予定でいます。この機関車が無ければ、前述のEF53やEF57、そしてEF58も製造されたかどうか見当が付かず、そういった意味も含めて、鉄道記念物にも指定されたのだと思われます。
京都鉄博には、貨車も展示されています。
その中の1両、ワム3500形 (ワム7055) は、1917年製というから、来年で生誕100年を迎えます。最初、ワム50000形かと思ったこの木造貨車は、当時のスタンダードな仕様です。
画像では見にくいのですが、このワム3500が乗っている線路は、かつての貨物操車場には欠かせないアイテムのカーリターダだったりします。カーリターダとは、操車場において自走能力の無い貨車を自力で走らせるために、ハンプという小高い丘まで機関車で押し上げて、そこで貨車を切り離してハンプから滑走させますが、そのままだと貨車はただ暴走するだけなので、このカーリターダを使って貨車のスピードを抑制させます。つまり、線路にブレーキ機能を持たせたのがカーリターダといっても差し支えないかと思います。貨車の両数、積載重量等によってその抑速調整も違ってきますので、操作する職員の高度な技術が要求されます。
そしてもう1両、鮮やかなライトグリーンに塗られたこの車両は、車掌車と呼ばれる車両で、昭和の貨物列車には編成の殿に必ず連結されていました。
この緑色の車掌車は、コンテナ特急 「たから」 専用のヨ5000形で、電照式のテールマークも備えられています。ただ、残念なことに、この 「たから」 のテールマークはレプリカだそうです。