今回の関西外遊では最後の定点撮影になりますが、これだけが最後まで特定出来ませんでした。
撮影は1974年 (昭和49年) ということで、阪神北大阪線廃止1年前の姿ということになります。
手がかりになるのが画像背後の茶色いビル。阪急天六ビルだそうですが、2016年現在、そのような建物はありません。ただ、画像奥が “天六” こと、天神橋筋六丁目であるのは確かです。
当時の阪神北大阪線は、中津電停を過ぎて、阪急の高架橋を潜り、天六方面に向かっていましたが、現在に準えれば、阪急の本社屋を右に眺め、鶴野町で新御堂筋と東海道本線を潜り、直進して中崎とか本庄とかを過ぎて天六に行っていました。画像はその途上のようですが、もう一つの手がかりとして、 「本庄中通付近」 という記載がありました。 「本庄中通」 電停は、天六電停と南浜電停の中間にあったそうですが、画像からはそこから先を辿ることは不可能でした。あとは足で稼ぐしか無い・・・。
というわけで訪れたのがここ。
大阪市北区本庄東1丁目付近です。
同一かどうかは判りませんでしたが、画像左端の電器屋さんで決めてしまいました。
画像奥に建っているタワマン辺りに、かつての阪急天六ビルがあったようです。
しかし、この辺りから暑さでバテそうでした。阪急中津駅で降りて、暑さの中、天六まで歩いたツケが回ったようです。
場所は特定出来ませんでしたが、この通りをかつて、路面電車が走っていたのは確かです。今だったら、ある程度認知されていたかもしれませんが、当時の路面電車は交通渋滞を引き起こす原因に決めつけられてしまい、衰退が早まってしまいました。
こうして、私の 「定点撮影」 は終わりましたが、また新たに昔の写真を入手出来たら、 “探訪” に出かけてみたいと思います。