私が通勤で西武新宿線を使っていた頃は、4扉の2000系や6000系、そして新進の20000系が主力で、3扉の101系 (301系含む) と3000系は小世帯でした。101系も低運転台の前期形は終焉期で、残ったのは8両固定の301系が殆どという時代でした。しかも、急行運用は大体が4扉車だったので、101系や3000系が充当されるということは殆どありませんでした (土日には3扉も急行運用に入ることがあったようです) 。一度だけ、新宿線で低運101系による急行に乗ったことがあり、少しだけ感激したのを覚えています。
そこへいくと、昭和の西武新宿線は新旧入り混じっていたみたいで、車両のバラエティは今以上だったようですが、当時は全くと言って良いほど、西武にはとんとご縁が無かったですね。保谷に親戚がいますけど、 「西武に乗って保谷の叔父さんの所へ行こう」 というのもありませんでした。
さて、昭和の時代は全く乗った経験が無い西武新宿線ですが、3扉が主力で、4扉の2000系はまだ若手バリバリ。カラーもそれまでのベージュとラズベリーのツートンカラー、いわゆる 「赤電」 から、黄色に塗り替えられる過渡期で、当時は赤電カラーだった701系も黄色に塗り替えられつつあった時代でした。
しかし、他の私鉄もそうなんですが、昭和西武に関しては全くの無知で、それこそ5000系 「レッドアロー」 と101系くらいしか知りませんでした。だから画像の車両が何系だかもよく判っていないのが現状。それは今も変わりませんね。
調べてみたら、画像の車両は401系であることが判りました。
401系は、旧形の411系を改造した車両で、実質的に701系の増結用という位置づけで登場した車両です。
411系時代は吊りかけ駆動でしたが、前述のように701系と併結して運用に充てることを前提としていたことから、カルダン駆動方式 (中空軸平行カルダン装置) に変更、主電動機も701系のとほぼ同スペックのものを搭載しました。これによって、701系との混結も可能になり、両系は常にコンビを組んで運用に充てられました。また、冷房装置も取り付けられました。外板塗色も赤電カラーではなくて、新しい西武通勤車両の標準塗色となりつつあった黄色を採用し、冷房改造された701系に合わせて窓回りはベージュとせず、黄色一色となりました。
このため、改造車とはいっても、殆ど新製に近い形のリニューアルとなり、当時の西武ではお馴染みの所沢車両工場での施工となっています。
一時期、池袋線での運用もありましたが、701系が新宿線への集中配置化に伴って、401系も僅かにあった池袋線での運用から外れ、新宿線に異動しました。また、昭和末期には旧型車の置き換えを名目に、多摩川線にも入線しました。
平成に入り、新2000系や6000系の登場によって701系が淘汰されるようになり、巻き添えを食う形で401系も廃車の運命を辿ります。そして1997年に運用から離脱し、401系は全廃されましたが、2両編成で冷房付きという利点が幸いして、解体とはならずに一部が上信電鉄、三岐鉄道、近江鉄道といった地方私鉄へ譲渡されました。
現在も元気な姿が見られているかと思いますが、西武で引退した101系が次々とやって来ているので、安泰とは言えないかもしれませんね。
そうそう、前にもお伝えしたことがありますが、昭和西武はとかく 「国鉄のパクリ」 と揶揄されていましたよね。
例えば車両形式。
101系、301系、401系、451系など、国鉄の車両と同じ形式を持つ車両がありますし、その401系もよくよく見ると、101系とそっくりだったりします。赤電カラーも見方によっては、国鉄の交直流急行形の色にも似て無くもありません。
私鉄最大の電気機関車であったE851形電気機関車は国鉄のEF65形500番台と瓜二つ (車両前面だけですけどね) 。
しかもE851の台車は、EF81が履いているDT138だし、701系が履いている台車も国鉄のDT21と同等だし、集中冷房のキセもAU75にそっくり。でも、主電動機とかは国鉄をパクってなく、モーターの音も西武独特のものになっています。
そうやって考えると、西武も随分と様変わりしたなと思えるのですが、その嚆矢になったのが6000系や10000系、20000系といった次世代車両が登場してからだと個人的には思っています。当初は2000系ですら、 「101系に貫通扉を付けたらああいう顔になる」 って思ったくらいですからね。約5年、あの黄色い (それと銀色に青の腹帯) 電車に揺られて多摩の奥地まで行きましたが、今になって思えば、貴重な体験だったなと思います。2000系も未更新車が多数いましたからね。
【画像提供】
は様
【参考文献・引用】
ウィキペディア (西武411系電車、同701系電車、同E851形電気機関車)