お正月を故郷で過ごす方も多いかと思います。
今は飛行機や新幹線網が発達して、おらが村への移動手段は完全にこの2つが席巻していますが (高速バスというのもありましたね) 、やはり昭和は鉄道、しかも在来線の列車が主役でした。盆暮れには定期列車だけでは捌ききれずに、軒並み臨時列車を運転して対応していた時代が懐かしいです。
国鉄では、電車、気動車、客車などを総動員して輸送に当たっていましたが、例えば客車の場合、臨時便に12系とか14系座席車とかが充当されれば大ラッキーだったりします。そして10系とか43系なら 「まぁ、しゃーないか・・」 となり、それでも足りない場合は、通常は普通列車とかに使われる35系とか61系とかが充てられ、乗客は地獄の十数時間を味わうことになります。それでも座れればまだマシな方なんですが、35系とか61系は直角シートなので、腰に負担を強いるのは目に見えています。そしてそれに焙れた人達は、通路に新聞紙を敷いて座ったり寝たりするのです。今になって思えば、それもまた、 「昭和の忘れられない風景」 の一つなんでしょうね。
画像の列車は盆暮れに運転された列車ではないのですが、こんな感じでしたよね。
EF62が牽引しているということは、信越線経由の列車あることに間違いないと思います。撮影年は昭和49年ということなんですが、その頃の信越線でEF62が牽引する列車といえば、急行 「越前」 か 「妙高」 くらいしかありません。機関車の次位に荷物車や郵便車が連結されていて、寝台車、グリーン車、座席車と連なるのが一般的。画像を見ると、機関車の次位に座席車が連結されているので、下り列車が発車を待っているという光景になりましょうか。寝台車や荷物車、郵便車は編成後方だと思われます。
私は東京生まれの東京育ちなので、 「帰省列車」 というと、東海道線よりも東北・上信越線を連想してしまいます。後者の方が味わいがありますもんね。
【画像提供】
岩堀春男先生
【参考文献・引用】
国鉄監修・交通公社の時刻表 昭和49年1月号 (日本交通公社 刊)