兄貴機である60号機と61号機の次番であるものの、特に騒がれもせず、ひっそりと消えていった62号機。ただ、個人的には結構な特異機であるかなって気がして、後々のゴハチブームまで生き延びていたら、その風貌から人気機になっていたんじゃないかなって思います。
EF58 62は東海道本線名古屋電化用として昭和28年に製造され、いわゆる 「第三次増備車」 に該当します。説明するまでもありませんが、新製当初から流線型の新型ボディを纏っており、前面窓も大型、水切り、誘導踏み段、握り棒が設置されてなく、パンタグラフはPS14という、第三次形でありながら、形態は第二次車とほぼ同一のスタイルでした (側窓の一部が開閉するのが二次車と三次車の差異だそうです) 。そして勿論、外板塗色は茶色です。
62号機は新製後、東京機関区に配属され、東海道本線で急行列車を始めとする客車列車の先頭に立ちましたが、昭和31年以降のいわゆる 「青大将」 カラーに塗られたという話は聞かないので、昭和40年以降の直流電気機関車の標準塗色になる青+クリームに塗り替えられるまで茶色で通したものと思われます。
昭和47年3月のダイヤ改正で、 「あかつき」 「彗星」 を始めとする新大阪発着のブルートレインの牽引機が東京機関区のEF65からEF58 (米原機関区、宮原機関区、下関運転所) に置き換わりました。時代に逆行しているように思えましたが、東京駅発着の列車に 「出雲」 「瀬戸」 が加わり、これらもEF65が牽引することになったのと、山陽本線で特急貨物列車の増発計画があり、これを実現するために、寝台特急の速度をダウンさせて途中で特急貨物を追い抜かない平行ダイヤを採用することになりました。よって、EF58でも牽引が可能になり、後継旅客機の台頭によって、暇を持て余していたEF58に白羽の矢が立ったのです。
EF58がブルートレイン、特に20系客車を牽引する際に必要とされるのが、元空気だめ管引き通しと電磁ブレーキ。43.10改正以降は、寝台特急の最高速度が110km/hに引き上げられていたため、これを装備しない機関車は20系客車を牽引出来ないことになっており、当時の米原、宮原、下関に配置されていたEF58はこの改造工事をする必要がありました。いわゆる 「P形改造」 というやつで、62号機もその対象になっています。ただ、前述の平行ダイヤ導入に伴って、最高速度は95km/hに押さえられていたことから、電磁ブレーキの装備は見送られています。なお、EF58による関西ブルトレの牽引は後に広島機関区も加わっています。
62号機の新製配置は東京機関区と先程申し上げましたが、その後下関運転所に転属して、さらに広島機関区へと転属しています。この時、大窓→小窓・Hゴム化、尾灯の内バメ→外バメ化の諸改造を行いまして、さらに広島機関区特有の左右一体型ヒサシと下枠交差型のPS22パンタグラフを装着するようになりました。詳細な改造遍歴は文献として見当たりませんでしたが、昭和50年代に入ると旧式であるPS14とPS15のスペアパーツのストックが少なくなり、広島ではそれをカバーする意味合いから、PS22に交換したという説があります。左右一体型ヒサシも広島独特のアイテムで、個人的には「一文字眉毛」と呼んでいます。ヒサシは一般的に 「氷柱切り」 としての機能を持たせていますが、広島EF58の場合はあくまでも 「ヒサシ」 。上越線のような雪害も少ないので、日除けの意味合いが含まれているのではないかと予想します。因みに63号機は高崎や宇都宮のような左右別々のヒサシを取り付けており、同区において異彩を放っていました。
昭和50年代に入ると、さしものEF58にも老朽化が見え隠れし、寝台特急 「日本海」 と 「つるぎ」 はEF81によるスルー牽引が実施され、 「あかつき」 「明星」 「彗星」 はダイヤ改正の度に整理・縮小され、 「安芸」 は昭和53年に廃止、そして昭和54年、新製のEF65PFが登場して 「あかつき」 「明星」 「彗星」 の牽引を一手に引き受けます。こうしてEF58のブルートレイン牽引の歴史は幕を下ろすことになり、米原、宮原、広島、下関に配属されているゴハチは荷物列車の牽引をメインに、時折オファーがある団体臨時列車の牽引が日課となりました。ただ、広島区の運用は浜松までだったので、首都圏で広島機関区配属のゴハチを見る機会はそうはなかったそうでして、それこそ団臨で姿を見せる時がチャンスだったみたいですね。
昭和54年までは20両前後の配置があった広島機関区も昭和55年以降は激減し、画像の62号機は昭和58年3月28日付で廃車、同年3月31日現在では僅か2両 (38号機と63号機) だけとなってしまいました。38号機と63号機は揃って昭和59年1月18日付で廃車、59.2以降の 「ゴハチブーム」 に乗っかることなく姿を消しまして、広島機関区におけるEF58の歴史は幕を下ろしました。
私はその 「ゴハチブーム」 はリアルタイムだったけど、便乗することは無く、毎回雑誌で繰り広げられる 「○○に△△号機が来るっ!」 という情報にも目を向けませんでした。でも、たまぁ~に駅に繰り出して、そこにゴハチがいればそんなことは言っていられないので、せっせと撮りましたけど、所詮、私の興味なんてそんなものですよ。今となってはね、少しだけ 「勿体ないことをしたかもしれない」 って思いますけど、あの時の 「ゴハチブーム」 は異常だったのは印象に残っています。
【画像提供】
サ様
【参考文献・引用】
鉄道ファン No.402 (交友社 刊)
機関車ハンドブック 「EF15×EF58 国鉄直流電機のスタンダード」 (イカロス出版社 刊)
JNR FAN CLUB 懐かしの日本国有鉄道
ELECTIC LOCOMOTIVE EF58&EF18