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Channel: Club SKRAM ~もはねの小部屋~
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東京公演に向けて、皆さんにお願い

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(神戸・チキンジョージ)
 
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(大阪・JANUS)
 
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(名古屋・THE BOTTOM LINE)
 
今朝、東京に戻ってきました。
旅行を兼ねていたとはいえ、さすがに1週間滞在は疲れました。
 
さて、8月21日の神戸・チキンジョージを皮切りに、25日大阪、26日名古屋と無事に終了した真子さんの 「SingAct SUMMER ~やわらかな幸せ~ 」 ですが、残すところあと東京・渋谷のみとなっています。
これから詳細なレポートを・・といきたいところですが、東京公演しか参加の予定が無い方からすれば、ここで芝居のストーリーを含む内容を事細かに説明すれば、楽しみが半減してしまいますので、この場では内容はお伝えしないこととします。但し、東京公演に向けて、東京のみ参加される皆さんへの “宿題” も兼ねまして、セットリストと一部、内容をお伝えしますので、それを踏まえて東京公演に向けて準備の程、よろしくお願いします。
 
神戸、大阪、名古屋とセットリストは同じですので、一発でまとめます。

 1:Life is beautiful

 2:やわらかな幸せ

 3:天使のらくがき

 4:私はオレンジ

 5:狼なんか怖くない

 6:天使の瞬間

 7:失恋記念日

 8:わたしの首領

 9:日曜日はストレンジャー

10:プリティー・プリティー

11:憂鬱の達人

12:夏の花びら

13:ワンダー・ブギ

14:ジュリーがライバル

15:春ラ!ラ!ラ!

16:clearly

17:揺れるカリプソ

18:猫は見ていた

19:My Friend! ~旅に出よう~

20:この夏いただき~恋のサマーダンス

21:Friend

22:ご機嫌日和

アンコール1:金木犀の香る頃

アンコール2:GOOD-BYEは出発 (たびだち)

というわけで、SingActにしては比較的多く歌っているようにも見えますが、 「失恋記念日」 「わたしの首領」 「日曜日はストレンジャー」 「プリティー・プリティー」 「ワンダー・ブギ」 「ジュリーがライバル」 「春ラ!ラ!ラ!」 はワンコーラスしか歌わなかったり、あるいは一部カットして歌ったりと、いわゆる “フルコーラス” ではありません。メドレーっぽくなっていますが、今回は1曲としてデータに計上します。ただ、 「この夏いただき」 はワンフレーズだけ歌って、 「恋のサマーダンス」 に入りますので、いわゆる “イントロダクション” 扱いとして1曲としては扱いません。
 
皆さんに “宿題” というのは、ここからです。そんなに難しいことではありませんが、グッズとして売られている団扇が必要になってきます。この団扇、初日こそTシャツを買うと付いてきたものですが、気がついたら、団扇だけの販売になっていました。もしかしたら、Tシャツの在庫が底をついたがための措置なのかなとも思ったのですが、私は間違っても 「ボッタクリだっ!」 とは言いません。
 
さて今回の 「SingAct」 は、真子さん自身の過去を振り返るような内容ですが、あくまでも 「フィクション」 ですので、皆さんもその気になってお芝居の方を観て下さい。これが第一の宿題。
 
第二の宿題は3曲目の 「天使のらくがき」 を歌った後で皆さんにご協力いただくことになります。
「天使のらくがき」 は皆さんもご存じ、 「スター誕生!」 の決戦大会で真子さんが歌った歌ですが、この 「SingAct」 でも、主人公が 「天使のらくがき」 を歌った後で、その結果を待つシーンがあります。 「スタ誕」 の場合、プロダクションの名前が書き込まれたプラカードを上がった段階で合格となるのですが、 「SingAct」 では、バンドのメンバーが徐にプラカードを挙げますが、皆さんはここで、事前に購入した団扇を挙げて頂きたいのです
神戸公演終了後、真子さんのマネージャー氏にその旨を伝えて許可を得ていますので、堂々と元気よく挙げて下さい。
 
第三の宿題は 「Friend」 の最後の部分、英語の歌がありますが、あれを皆さんで歌いましょう。
以前から私はこの 「Friend」 の英語部分を歌っていました。最初のうちは誰も歌ってなくて多少なりのご批判やお叱りも受けたことがありました。しかし、みんなで歌えば盛り上がるという信念を捨てずに真子さんと一緒になって歌っていましたが、最近になってようやく他のオーディエンスの方々も歌うようになり、昨日の名古屋公演では、ついに真子さん自身がマイクをオーディンスに向けました。真子さんも歌って欲しいんだ・・・。
こちらも参照して下さい。
 
第四の宿題は、今回のアンコールではスタンディングをやります。
私的にはアンコールの初っ端から経ちたいのですが、大ラスの 「GOOD-BYE・・」 で立つのが一番望ましいかと思いますので、皆さんのご協力をお願いします。
 
そして最後の宿題ですが、全ての演奏が終わった後で、ハチマキ隊の音頭によって 「サンキューソング」 をアカペラで歌うんですって。
最初、その話を聞いた時、 「何で 「サンキューソング」 なの・・?」 と疑念に駆られましたが、真子さんに対する 「ありがとう」 の気持ちが多分に含めているのだと思います。
何のかんの言いながら、真子さんも喜んでいたし、不本意ではありますが、ここは協力しようと思います。
しかし、歌い出しが全然聞こえなくて、しかも何処を歌っているのかが全然解りません。
皆がてんでバラバラに見境なく歌えば、収拾がつかなくなります。そこで私はハチマキ隊のメンバーに 「何時、何処の部分を歌うのかハッキリして欲しい」 「ハチマキ隊が音頭を取るなど、仕切って欲しい」 と嘆願しました。色よい返事はもらえませんでしたが。
歌う部分はサビだと思いますが、それもハッキリしないんですよねぇ~。せめて 「せぇ~のっ!」 って号令を掛けて欲しいですね。
何て言う私も、 「サンキューソングってどんな曲だったっけ・・・?」 と全く歌えてなかったので、東京公演までには覚えておくつもりです。ですから、皆さんもサビの部分を中心に覚えておいていただければ幸いです。
 
こんな感じで、アーティストとオーディエンスとそれぞれのアイデアを盛り込んで、コンサートは大いに盛り上がりましたので、皆さんも積極的に “参加” して、真子さんと一緒に盛り上がりましょう。
 
 
 
 
 
 
 

1週間のご無沙汰です の巻

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8月27日 (水曜日) 曇りのち雨
 
先週20日夜、夜行列車に揺られて関西方面に向かった私ですが、今朝、東京に戻ってきました。
コンサートがメインですが、結果的には岡山を皮切りに、赤穂、姫路、神戸、大阪、丹波篠山、甲子園、京都、伊勢、名古屋などを回りました。近年にないドサ回りを敢行しました。
岡山県の大地を踏みしめたことによって、いよいよ残すは鳥取県のみ。ここの大地を踏みしめることによって、47都道府県全て行ったことになります。鳥取に行くのはいつのことになるやら・・・。
コンサートが盛り上がったのは言うまでもありませんが、鉄もバスも食も、概ねの目的は達成したかなと思います。
明日からまた仕事ですが、最後の公演は来週の水曜日。頑張らねば。
 

岡山バスウォッチング

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「真子ライブ&ついでの鉄旅」 における最初の目的は、岡山に行くことでした。特別な理由はないのですが、神戸と岡山はびっくりするほど遠くありませんし、岡山で撮りたいバスも沢山あります。そして何よりも駅のホームに佇んだだけで、改札口を抜けてしっかりと岡山県の大地を踏みしめていないので、それを実行しようというのが 「岡山に行こう」 と思った一番の理由であります。
 
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岡山駅のバスターミナルは、東口と西口に分かれているようで、東口は主に県内市内に向かう路線バスが発着し、西口は高速路線バスが主に使っています。
 
岡山県には両備バス、岡電バス、中鉄バス、そして下電バスあたりが “Big4” になりましょうか。その “Big4” に隠れた存在にはなりますが、この宇野自動車も忘れてはなりません。画像の宇野自動車のエアロスターこそ、岡山駅に降り立って最初に目に飛び込んできたバスであります。そうそう、このカラー。昔も今も変わりませんね。
 
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また、岡山は昔から “三菱王国” というイメージがありますね。
両備も岡電も宇野も三菱ですし、中鉄は日野、下津井はどちらかというと、日野とか日産ディーゼルが多いかなという印象を持ちます。そして今回の撮影でもいすゞは殆ど見かけませんでした。
画像の岡電バス、三菱名古屋製ボディを架装したエアロスターですが、多く見かけたのは西工ボディを架装した車。特に岡電は西工の大口ユーザーですよね。
 
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それにしても、宇野バスの頭上にあるライト類、ここだけ1960年代だなって感じました。
昔のバスはトラックの派生で、シャシーなんかはトラックとバスが共通なんてぇのは至極当たり前な時代がありました。後にトラックとバス、別々に造り分けるようになりましたけど、同時にバスにも備えられていた速度表示灯は設置されなくなりました。
でもこれ、本当に速度表示灯? 一般に速度表示灯の色は黄緑色が義務づけられていますが、これはオレンジ。ということは、これは速度表示灯ではない可能性が高いですね。
 
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西口に足を運んでみました。
この辺りから足と胃が痛くなり始め (足は靴が合わず、水ぶくれが出来た。胃はよく解らない・・) 、そのお陰で汗がしたたり落ちます。それでもバスの撮影は強行しました。
この中鉄バスの高速バスカラーは懐かしいです。新宿と倉敷を結ぶ夜行高速路線バス 「マスカット」 を思い出しますね。
 
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この下電バスは新宿でもよく見かけますので、特別な感動はありませんでした。
 
岡山では3つほど目標を立てました。
① 中鉄バスのエアロキングを撮ること
② 両備バスの旧色を撮ること
③ 同じく両備バスの 「ソラビ」 を撮ること
 
両備バスの旧色は画像にも見えるように、達成しました。
中鉄のエアロキングと両備の 「ソラビ」 はどうだったのでしょう?
 
 
 
 
 
 

岡山駅にて

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今から15年前の1999年9月、郷里に戻った元同僚のヤマさんに会うために、高知に向かった私。その時は私の他にめかまを含む職場の仲間5~6人で訪れたのですが、私は所用があって、途中でお別れし、一人で電車に揺られながら帰京しました。特急 「南風」 で岡山まで行き、さらに当時人気絶頂にあった500系の 「のぞみ」 で東京に戻ったのですが、その間、少しだけ時間があったので、岡山駅を縦横無尽に歩き、列車を撮っていました。それ以来、岡山には足を踏み入れていません。
 
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再三申しているように、私の場合、駅や空港から外に出ないと、その地域を訪れていないとみなしており、15年前も岡山駅のホームでバシバシ列車は撮っていたのですが、改札口を出て、外には出ておらず、 「岡山県には行っていない」 としていました。今回、ようやく改札口の外に出ることが出来て、ようやく岡山県の大地を踏みしめたことになります。
 
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今や、 “岡山名物” となった、285系寝台電車 「サンライズエクスプレス」 の解結作業。
東京から14両という長大編成で西へ向かっていた 「サンライズ瀬戸」 と 「サンライズ出雲」 は、岡山で切り離し作業を行い、出雲市と高松へと向かいます。
「サンライズ出雲」 「サンライズ瀬戸」 の乗客は、岡山駅に到着する前に、 “臨戦態勢” に入り、列車が岡山駅に着くやいなや、脱兎の如く7号車と8号車に一目散に駆け抜け、この解結作業を見届けます。私は別にどうってことはないのですが、いつの時代も列車の分割・併合作業は物珍しさが手伝って、人だかりが出来ますね。東京でも 「成田エクスプレス」 の分割・併合作業は人だかりが出来ますもんね。
 
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117系の 「サンライナー」 カラーは、15年前にも撮っていますので、まさに 「久々のご対面」 ということになります。
当時は、快速を中心に運用されていた117系ですが、今や普通列車にも充当されているようで、 “落ち目の三度笠” は、関西エリアだけではないようです。
 
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15年前、岡山エリアでは、一部に 「瀬戸内色」 があったものの、115系に関しては湘南色がメインでした。
JR西日本では、塗装の省力化を図るために、 「一色塗り」 を実施していますが、岡山や広島地区では、黄色1色に塗られた車両が目立っています。115系だけでなく、103系や105系も黄色1色になりました。
直流近郊形車両は基本的にはツートンカラーなので、1色塗りといっても、まだピンと来ないのが現状です。
岡山電車区 (岡オカ) は115系も多く配置されていますが、かつてはモハ115とモハ114の1番があったり、300番台のトップナンバーもおりました。
 
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岡山といえば、特急 「やくも」 。
キハ181系使用時は、気動車特急唯一のL特急として名を馳せた列車も、1982年に381系で電車化されて、それから32年、陰陽連絡の重要な使命を帯びて、伯備線を駆け抜けています。
15年前に 「やくも」 を撮った時は、緑を基調とした 「やくも」 と、ピンク色 (薄い紫色?) に塗られた 「スーパーやくも」 とがありましたが、今は全列車が 「やくも」 に統一されています。
 
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旧形車両の1色塗りは何も電車だけでなく、気動車にも波及しています。
気動車はかつての 「首都圏色」 に準えて朱色1色としていますが、前方のキハ47は酷いな・・・。
 
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1981年に福塩線と宇部線、小野田線の新性能化を目的として登場した105系も、オリジナルは一部を除いて中国地方から離れず、しっかりと根付いています。このうち福塩線仕様は、黄色をベースに青15号の帯を巻いてデビューしましたが、この黄色1色は何となしに、その当時を彷彿とさせます。これにライト周りや客室窓下に青色の帯を巻けば、その当時のカラーになるのかと思います。
 
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岡山電車区のもう一つの “虎の子” は、この213系でしょうね。
瀬戸大橋開通時に華々しく登場したパノラマグリーン車は既に全車廃車となっていますが、オリジナルの0番台は岡山近郊のローカル輸送に従事しており、今もなお、岡山電車区を離れません。
 
15年前と比較しても、それほど車両の陣容に変化がないことが解りましたが、これから岡山駅や岡山駅にやって来る車両はどんどんと変わってきますよ・・・。
 
 
 
 
 
 

今日の1枚・330+α

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事業者名:中鉄バス (岡山)

仕様・用途:一般路線 (空港輸送) 仕様

登録番号:岡山200 か ・513

社番:2001号車

初年度登録:1989年式

シャシーメーカー:三菱自動車工業

エンジン型式:三菱8DC9T6型

ボディ架装:新呉羽自工

車両型式:P-MU515TA(T)

車名:三菱ふそうエアロキング

撮影日:2014年8月21日 (木曜日)

撮影場所:岡山駅西口バスターミナル

「えぇぇぇ~~~っっっ!!! マジでぇ~~~~っっっ!!!???」
「父ちゃん、悲しくて涙が出てくらぁ~・・」
 
これがこの車を見た時の第一声。無論、良い意味ではありません。落胆を意味する第一声です。
靴のせいで足が痛くなり、おまけに胃も痛くなり、さらに暑さで汗が滝のようにしたたり落ち、コンディション的には絶不調ながら、重い荷物を引きずりながら岡山駅の東口から西口へと移動した私。空港リムジンバスは西口から出ているというので、行ってみたらこれだもん。運良く遭遇したのはいいけど、何してこないなセンスのないラッピングバスにすんねん・・・?
 
以前から中鉄バスにエアロキングが導入されたというのは知っていました。両備や岡電など、三菱が目立つ岡山県において、殆どオール日野で占めている中鉄バスが三菱を導入したこともある意味拍手ものですが、近鉄バスや奈良交通同様に、 “選択肢が無かった”からだと思います。日野に拘るのならば、状態の良いグランビューを探せば・・という話になるのですが、10台そこそこしか生産されてないグランビューで “程度極上” のタマを探すのはもしかしたら、宝くじを当てるより難しいかも (もっとも、ボロボロの個体でも札束を積めば、新車同様の良い感じに仕上がるとは思いますけどね) 。
というわけで、日野の事業者でさえも、必然的に三菱を選ぶことになるのですが、元々は自家用登録だったそうです。
 
中鉄に移籍した後は、白地にピンクと紫と青のストライプを纏った “中鉄カラー” になり、岡山に行く機会があったら、是非とも撮ろうと誓っていました・・・が。
まぁ、バスのカラーはマニアの都合で塗り替えるものではありませんので致し方がないっちゃあ、致し方が無いんですけどね・・・。
しかし、このエアロキング、今や稀少の部類に入るP代の初代エアロキングで、ライト周りが黒く縁取られた1988年以降の後期型になります。延命工事は実施しているのでしょうけど、岡山県内だけの運用であれば、DPFの装着は問題視しなくても良いのかな?
 
S’ELEGA-LAさんの記事によれば、ラッピングは2006年頃から実施されたそうで、岡電のリムジン仕様でANAカラーがあるので、これに対抗して、中鉄はJALにしたのではないでしょうか。
別のサイトによると、初期のラッピングには、当時のJALのイメクラ・・ではなくてイメージキャラクターであった宮里藍が描かれていたようで、幾度のラッピングの変更を経て、現在は飛行機だけが描かれてる仕様になりました。
 
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ドアの部分にその “痕跡” がありました。
 
以前にもお話ししたように、岡山では 「① 中鉄バスのエアロキングを撮ること」 「② 両備バスの旧カラーとソラビを撮ること」 を目標に掲げていましたので、ラッピング仕様とはいえ、目的は取りあえず達成しました。あとは両備バスの 「ソラビ」 だけです。
 
【参考文献】
BUSRAMA EXPRESS 11 「The King -エアロキングの四半世紀-」 (ぽると出版社 刊)
Yahoo!ブログ 「S’ELEGA-LAのバス撮影記録」
やんたけバス研究所
 
 

雑感・32 の巻

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8月29日 (金曜日) 曇り時々雨
 
8月ももう終わりですね。慌てふためいて夏休みの宿題をやったのを思い出します。
しかし、今年はやはり異常気象なのでしょうか? 暑かったには暑かったけど、7月前半と8月の後半は雨ばかりで、しかも朝夕がかなり涼しい。もはや夏ではないです。来週は晴れてまた暑くなると天気予報は言っていますが、もはや夏の暑さを期待するのはどうかなと思いますね。

朝日新聞の誤報問題

今、散々各方面から叩かれていますが、実際はどうたったんでしょうね。正直、 「どうでもいい」 ことではあります。
非常に危険な予測ですが、 「従軍慰安婦」 という言葉ではないけど、似たような行為ってあったんじゃないかと考えています。ただ、当時の国と日本軍がもみ消しているだけで。昔も今もそういう重要な内部事情を良いようにもみ消すのは日本の得意技じゃないですか。別に驚きませんよ。
また、 「世紀の大誤報」 と見出しを付けて煽っている週刊誌もここぞとばかりに書き立てていますが、私に言わせれば、 「朝日新聞が誤報なら、週刊誌はガセネタばっかじゃん」ってこと。

江角マキコ問題

真実か否かというのは 「本人のみぞ知る」 ところなんでしょうけど、こういうのを聞くと、重ね重ね結婚して子供を授からなくて良かったとつくづく思います。
子供同士による陰湿ないじめは、個人的には背景に 「低レベルな親」 というのが存在しているからだと考えます。
ママ友だか何だか知らないけど、あの世界も子供のいじめに似たような陰湿な世界が蔓延っていると聞きます。ママ友の中には必ず “ボス” 格の女がいて、それを取り巻く数名の女。そのボス女に逆らうと、とんでもないいじめが待っているようで、まるで1970年代の池玲子主演の 「女番長」 シリーズとか、梶芽衣子主演の 「女囚さそり」 シリーズとかと同じ世界のような気がします。
江角マキコといえば、長嶋一茂宅に落書きをしたとかしないとか、そういう疑惑も持たれています。
ただ、本当にそう思ってても、こまっしゃくれたガキや借金取りじゃあるまいし、相手の自宅に落書きは良くありませんね (これも真実か否かは定かじゃありませんが) 。
まぁ、風の噂ですが、江角マキコが 「○○△△」 と書きたくなる気持ちも解らなくもないような・・。何故なら、本当に 「○○△△」 らしいから・・・。

石破氏の入閣受託

結局この人、何なんでしょう・・・
つい、こないだまで入閣を固辞していたのに、この心変わりの早さに、別の意味で脱帽してしまいます。
安倍総理と闘うのであれば、徹底的にやればいいのに、 「キツい仕事はやりたくない、楽な仕事ならやる」 とゴネたんじゃないかと推察します。キツい仕事をやり遂げて、ある種の数字を挙げれば石破株も上がろうものなのに、これで石破株は一気に下落です。
 
右を見ても左を見ても「どいつもこいつも・・」と嘆きたくなるような世の中ですが、取りあえずは生きていかなければね。
 

今日の1枚・331

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事業者名:両備バス(岡山)

仕様・用途:一般路線仕様

登録番号:岡山22 か 3604

社番:9306号車

初年度登録:1993年式

シャシーメーカー:三菱自動車工業

エンジン型式:三菱6D22型

ボディ架装:三菱自工名古屋(※1)

車両型式:U-MP218K

車名:三菱ふそうエアロスター・M(※2)

撮影日:2014年8月21日(木曜日)

撮影場所:岡山駅東口バスターミナル

※1:三菱自動車バス製造社製ボディ架装の可能性有り
※2:U-MP618Kの可能性有り

前回の中鉄バスは “落胆の1枚” でしたが、今回は “喜びの1枚” であります。
高速路線車や貸切車では既にこの旧色は残されていないみたいですが、一般路線車には数は少ないながらも旧色が残存しておりまして、 「やっぱり両備バスはこの色だよな」とあらためて実感させられました。

1990年3月、高速路線バス 「ルブラン」 が運行を開始し、京浜急行と両備バスが運行を担当しましたが、私自身の注目は両備一点に絞られました。東京であのカラーが見られると超小躍りしたのです。しかし、両備バスの旧色を見たのはその時と合わせて2回だけで、以降、東京で見る両備バスは全て新色でした。しかも高速路線車はわけのわからない幾何学模様的なドン引きカラーになってしまったし、もはやあの落ち着いた旧色を見るのは絶望的とさえ感じました。

両備バスを取り上げたサイトやブログなどで、まだ旧色が残っている風の記述が彼方此方で散見されまして、 「旧色が残っているのなら、一度、岡山まで行って撮ってみたい」 とずっと考えていましたが、なかなか岡山まで足を運ぶ機会が訪れず、1999年に高知への行き帰りの途上で岡山駅に降り立つも、改札口の外に出ることはなかったので (ちょうどその頃はバス撮りから遠ざかっていた時期とリンクしています) 、結局、撮れずじまいでした。
今回、ようやく長年の夢が実現しまして、また 「ルブラン」 撮影時は夜間だったこともあって出来はお世辞にも良くなかっただけに、今回の撮影は大満足でした。

さて、画像のエアロスターですが、ボディ架装については一応、三菱名古屋製としますが、ちょうどこの車が導入された時期に、新呉羽自工は三菱自動車バス製造 (MBM) と社名を変えて三菱自動車工業の子会社になりまして、ボディスタイルも三菱名古屋と変わらないデザインになりました。だから、一見すると、名古屋 (三菱) か富山 (MBM) かは、コーションプレートを見ない限り、判別が不可能で、この車も三菱なのかMBMなのかはハッキリと判らないのが実状であります。しかし一方で、エアロスターを始めとする大型路線バスのボディ製造は1995年に富山に集約されたという話もありますし、もとより両備バスは名古屋製ボディを好んでチョイスしていたことから、画像のエアロスターも名古屋製ボディである可能性が高いと思われます。
それから、この車はリーフサスのMP218としていますが、エアサスのMP618の可能性も捨てられません。この辺りは岡バスさんを始めとする岡山の識者の見解を待つしかないようです。

初代エアロスターの面構えも良いですし、どれを取っても 「うん、やっぱりこれだよな」 としみじみ感じました。

「サンキューソング」 も良いけど・・・

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大阪と名古屋の公演の大ラス、 「GOOD-BYEは出発」 が終わった後で、ハチマキ隊主導によって 「サンキューソング」 をアカペラで歌ったというのは、前回お話しして、おそらく渋谷のファイナルでもやるであろうから、覚えておいてねなんていう話をしたと思いますが、あれからずっと考えていました。 「本当に 「サンキューソング」 で良いのだろうか・・?」 ということ。
 
ハチマキ隊がどのような意図をもって 「サンキューソング」 を選んだのかはよく解らないのですが、きっと 「感動を有り難う」 的な、真子さんに対する感謝の気持ちを表しているのだと推察します。しかし、いざ、 「歌え」 となると、真子ファンとしては失格なのかもしれませんが、咄嗟に歌詞が思い出せないのも否めない事実だったりします。良い歌なんだけどね。
ある程度、盛り上がりはしたけど、歌詞を知らないから歌っている人はごく僅かで、しかも音頭がないままいきなり歌い出したから、 「サンキューソング」 の何処を歌っているのかが全然解らなくて (冒頭なのかサビなのか、AメロなのかBメロなのか) 、結果的にバラバラになってしまいました。それが大阪での話。名古屋では 「歌う前に誰かが 「いっせいのせっ!」 で統制をかけて、歌い出した方がまとまるのではないか」 とハチマキ隊に申し入れをしましたが、前向きな返事がもらえず、結局は大阪と同じ結果に。私も途中から諦めて手拍子だけでお茶を濁しました。真子さんも嬉しさ半分、もう半分はズッコケ気味で少々困惑していたのを見逃しませんでした。
 
それで、帰京してから久々に 「さよならコンサート」 のDVDを引っ張り出して観ていたら、あることを思いつきました。
「サンキューソング」 も良いけど、皆で歌うのなら、皆が歌いやすい歌をチョイスするのが妥当かなと思いまして、やっぱり 「狼なんか怖くない」 の方が良いんじゃないかと思い始めました。
 
ネタバレで申し訳ないのですが、 「狼・・」 は今回のライブのセットリストにも入っています。
「狼・・」 ならアカペラでも十分にいける歌だし、皆も知っているし、何よりも 「サンキューソング」 よりかは遙かに歌いやすい歌なのかなって気がします。さらに 「狼・・」 ならワンコーラスはもちろん、フルコーラスもいけます。
その 「狼・・」 を 「さよならコンサート」 風に手拍子を混ぜて歌った方が、皆も納得するんじゃないかと感じたんですね。
 
前述のように、このアイデアはハチマキ隊が主導しているので、最終的にはハチマキ隊の音頭一つにかかっているのですが、抜本的な改善策がないと、大阪、名古屋と同じ結果になるのは目に見えています。せっかくの感動や盛り上がりも半減してしまうのではないでしょうか。
もう一度言いますれば、
① 「サンキューソング」 に拘るのなら、歌い出しの音頭をハチマキ隊が取って欲しい
② 「サンキューソング」 を歌うのなら、何処の部分を歌うのか明確に指示して欲しい
どうせやるなら、ライブに来た人全てにその主旨が通じるように、ある程度徹底しないとまとまらないような気がしますが、私には発言力が無いので、申し入れをしたところで一蹴されてしまうのが関の山ですけどね。
かつて、 「おせちも良いけどカレーもね」 という名コピーのCMがありました。
「お正月でおせち料理に飽きたら、カレーを食べませんか?」 という意味合いなのだと考えますが、これって今回の案件にも通じるような気がします。要は、 「手の込んだ難しい歌よりも、シンプルな歌の方が時と場合によっては受け入れられ易い」 ということ。
 
ファイナルまであと4日 (今日を入れて) 。
今更ですが、皆さんはどう思われますか。
 

赤穂線に乗りました

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岡山駅で一通りの撮影を終えた私は、神戸に向かうことになります。普通で考えれば、岡山から神戸ですと、新幹線でひとっ飛びというのが定説であり、極めてオーソドックスな行き方だと思いますが、私は “普通ではない” ので、別のルートを選択することになります。中国山地の山間を抜ける津山線と姫新線を行くというのも選択肢の一つとして検討はしましたが、今回は一旦、山陽本線から離れて赤穂線に入り、姫路に向かうルートを選択しました。
 
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赤穂線というと、115系を連想していたのですが、実際に乗ったのは213系でした。
213系というと、宇野線や瀬戸大橋線での運用が先入観としてあり、最近では伯備線にも投入されているという話は聞いたことがあります。赤穂線での運用は念頭に入ってなかったな・・・。なお、赤穂線には213系や115系の他に、113系や117系も運用に入っており、相生口では221系、223系、225系が乗り入れています。
213系はJR東海の5000番台は乗った記録がありますが、JR西日本の0番台はまだ未乗車。結果的には 「まぁ、いいか」 となりました。
 
赤穂線の正式区間は相生-東岡山間ですが、時刻表を見る限り、東岡山発着という列車は無く、また、赤穂線全線走破をする列車もありません。相生口でも岡山口でも播州赤穂で折り返しとなるようです。実際に私が乗った列車 (1912M) も播州赤穂止まりで、播州赤穂からは山陽線直通の新快速に乗って東へ向かうこととなります。
また相生口に関しても、相生発着という列車は無く、全列車が山陽本線に乗り入れる運用となっていまして、朝夜を除いて日中は全列車が新快速となります。
 
岡山を出発した赤穂線の列車は、前述のように東岡山までは山陽本線を走ります。そして東岡山からは山陽本線と分かれて、海沿いへと進路を取ります。海沿いを走るといっても、最初のうちは山間を抜けるコースとなりまして、また香登から伊里までは山陽新幹線とほぼ並行しています。
 
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赤穂線沿線では一番の大河になりましょうか、吉井川を渡ります。
 
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備前片上を過ぎまして、日生 (ひなせ) に着く頃合いに初めて海を眺めます。だから画像は瀬戸内海ということになります。
日生はこの辺りでは指折りの港町で、瀬戸内海で獲れた新鮮な魚介類が水揚げされます。
 
列車はしばらく海沿いを走りながら、播州赤穂駅に着きます。因みに寒河-備前福河間が県境で、私も兵庫県に入りました。なお、備前福河駅は兵庫県ですが、何故か駅名は “備前” と、岡山県の旧国名が冠されています。これは備前福河駅が元々、岡山県に所在したことに由来するものです (1963年に兵庫県赤穂市に編入) 。
赤穂市は言わずと知れた 「忠臣蔵」 の表舞台になった場所で、赤穂浪士を生んだ土地でもあります。ここで乗り換えて、相生から山陽本線に入り、姫路へと向かいました。
 
 
 

まだやってたの? 24時間テレビ の巻

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8月31日 (日曜日) 曇りのち晴れ
 
泣いても笑っても8月は今日で終わり。8月が終わると、何故かもの悲しさを覚えます。大好きな月ですからね。
さて、テレビのスイッチをONにすると、 「24時間テレビ」 が映っていました。 「えぇ~っ!? まだやってたの?」 というのが正直な感想です。そして 「もういいよ」 というのも正直な感想。
「24時間テレビ」 って確か、チャリティー番組でしたよね。当初は動けないお年寄りに浴槽付きバスとか、目の見えない人の為に音の出る信号機とかを寄付によって購入して、それを寄贈していたことで、番組の力は凄いなと思っていましたが。段々とエンターテイメント性が濃くなって、チャリティ番組なんだか、単なるバカ騒ぎするだけのバラエティ番組なんだか判らなくなってきました。
 
極めつけは 「24時間マラソン」 で、毎年のように憤慨していますが、何のために走るのか、その理由が全然理解出来ません。表向きの理由は多々あるんでしょうけど、普段からあまり長距離を走るための訓練をしていない人が、たった3~4ヶ月で長距離を走れるだけの身体になるのか? 普通は無理ですよね。それでも懸命になってゴールを目指しているところに人々は感動するのでしょうけど、ハッキリ言って意味が無い。しかもその人選が過去の例を見ても 「こいつを走らせておけば、取りあえず視聴率は稼げるだろう」という程度の理由で選んだようにしか思えないんですよ。テレビ局的には良いんでしょうけど、視聴者的には感動もヘッタクレもありませんね。
 
今回の 「24時間マラソン」 の走者はTOKIOの城島氏で、彼は大好きなタレントさんなので、批判的には言いたくないのですが、何か 「自ら走ろう」 というよりも、 「テレビ局に言われたから走るだけ」 というような感じにしか見えないんですよね。ただ、城島氏には 「ゴール目指して、頑張って下さい」 と今回だけは言いたいですね。 

姫路に着きました

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播州赤穂から山陽線直通の新快速に乗り換えて揺られること30分少々、姫路駅に着きました。
そのまま新快速に乗っちゃえば、神戸に辿り着けますが、 “普通じゃない” 私はそうはしませんでした。
幾度となく神戸周辺には足を運んでいるものの、一度も乗ったことが無い山陽電鉄線に乗って神戸の中心地まで行こうというのが狙いでありまして、それで姫路で降りました。
 
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姫路駅に到着する寸前で見かけたある “遺構” 。
ご存じの方もいるかもしれませんが (特に姫路市民は) 、1979年に正式廃止になった姫路市営モノレールの線路跡であります。
1966年に姫路市の手柄山で開催された 「姫路大博覧会」 へのアクセスとして開業したモノレールも、利用客が全然無くて経営状態は開業時から思わしくなく、わずか8年で休止、その5年後に正式に廃止になった悲運のモノレールであります。
現在でも軌道の一部が市内の彼方此方に遺されており、横浜の 「ドリームモノレール」 と並び称される 「日本の二大 “見込み違い” モノレール」 の一翼であります。
 
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「姫路でしか見られない車両」 その1
厳密に言うと、 「姫路でしか見られない」 わけではないのですが、姫路-津山-新見間を結ぶJR姫新線用の車両、キハ122系であります。
湯郷温泉や蒜山高原など、沿線にはいくつかの観光地があるにもかかわらず、輸送シェアは高速バスが圧倒しており、昔日の面影はありません。以前には 「みささ」 「みまさか」 といった急行も運転されていた姫新線でしたが、今は、普通列車のみが運転されており、赤穂線同様、全線走破の運用は無く、姫路-佐用・上月、佐用-津山、津山-新見の3区間で運転形態が分割されている状況です。
キハ122は両運転台、キハ127は片運転台の2両固定で、姫新線の中でも特に姫路-佐用間の運用に特化しています (佐用-津山-新見間はキハ40系とキハ120系が担当) 。
 
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「姫路でしか見られない車両」 その2
姫路からはもう一路線、陰陽連絡線があります。
姫路と山陰本線の和田山とを結ぶJR播但線は、1998年に姫路-寺前間が電化されて電車が走るようになりました。また、大阪と山陰の浜坂を結ぶ特急 「はまかぜ」 も運転されており、姫新線よりかは幾分、近代化されております。
電化開業用に103系を転属させて、ワンマン改造などを施工した3500番台が活躍しています。
103系3500番台は2両固定で、両車とも元々は中間車だった車両です。
 
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姫路と言えば、やはり姫路城でしょう。
国宝にして世界遺産となっている姫路城は今年、大改修を終えて 「白鷺城」 の別名に相応しい姿となりましたが、一方で 「白くなりすぎたのではないか」 という違和感を感じる方も少なくないのだとか。でも、こちらが “本来の姿” であり、改修前に見られた白黒のコントラストは埃などのゴミによるもの。要は 「黒ずんでいた」 からなんですね。
また年月が経てば、埃などが溜まり、再び白黒のコントラストになるとのことなので、逆に真っ白な姫路城を拝むのは今だけなのかもしれません。
 
こうして、僅かながら姫路を堪能した私は、山陽電鉄の姫路駅に向かい、神戸に乗り込むことになります。
 
 
 

阪急バスです。長野ナンバーです。えぇぇぇぇ~~~~っっっっ!!!!????

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大阪-長野間を結ぶ夜行高速路線バス 「アルペン長野」 号が大阪に到着しました。
「アルペン長野」 号は、今はアルピコ交通 (旧川中島バス) が単独での運行を行っていますが、かつては阪急バスが共同運行事業者として名を連ねていました。2013年から阪急が運行から手を引き (休業状態) 、アルピコ1社での運行になりました。
 
さてこの日 (2014年8月24日) 、アルピコ交通ではなく、阪急バスが運行を担当していました・・・が、よく見ると、車体側面にある 「HANKYU」 のロゴが見当たりません。しかも登録番号が何と長野ナンバーになっています。どういうこと・・・? そして、車体末端には何と×2 「アルピコ交通」 と記されているじゃありませんかっ!! ここは大阪ですが、 「じぇじぇじぇじぇぇぇぇ~~~っっっっ!!!!」 と世間の冷ややかな目にも動じず、叫んでしまいました。
 
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実はこのバスを撮影した前日 (2014年8月23日) にも阪急バスカラーのアルピコ交通を目撃して (撮って) 、 「ムンクの叫び」 状態となったのですが、正面の窓下にある阪急バスのシンボルエンブレムや阪急バス時代の社番 (8月23日が2904号車で松本ナンバー、8月24日が2893号車で長野ナンバー) は残されたままです。
 
普通に考えれば、 「アルペン長野」 のアルピコ1社運行を機に、それまでの台数では足りないから阪急から数台アルピコに転じたと推測するのですが、カラーも変えない、エンブレムも残している、でも 「HANKYU」 のロゴは消しているとなると、単なる転属とは思えないのです。色を変えるお金が無いのかもしれませんが、もしかして 「一時出向?」 と考えるのはどうでしょうか? 前述のように 「アルペン長野」 の阪急運行は “一時休業” 状態らしいので、いつか再び二社共同運行になった時に、阪急に戻るのかもしれません。だから色を変えずにエンブレムも残していると推測します。しかし、送り込まれた車は私が目撃した限りでは、全てPJ-MS86JPですので、このまま長野で最期を迎える公算の方が高いのではとも思われます (KL- ならなおさらですよね) 。アルピコに転籍したのかなぁ~?
いずれにしても、これは識者の見解を待つしかないですね。
 
ところで、この撮影地、何処だか判りますか?
大阪在住のバスファンは知っていても答えを言わないで下さいね。
いずれお伝えしますが、ハッキリ言って、梅田のバスターミナルよりも良い感じで撮れます。
 
 

熊本でイベント決定!

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私は行かないから (行けないから) 、特段、ここで告知する必要もないとは思ったのですが、9月6日に熊本でのイベントに真子さんが呼ばれたそうです。
イベント名:ジェイデバイスグループ納涼祭
とき:2014年9月6日 (土曜日)
場所:ジェイデバイスセミコンダクタ熊本地区 (中核工業団地内~旧ルネサス九州セミコンダクタ)
    熊本県菊池郡大津町高尾野272-10
お金:タダ
 
真子さんは19時45分頃の登場となっています。あと、 「トッキュージャー」 とくまもんも来ます。
大津町ってどっかで聞いたことがあるなって地図を広げたら、阿蘇山に程近い場所にあるんですね。
電車で言うと、豊肥本線の肥後大津駅か隣の瀬田駅が最寄りかと思います。それでびっくりしたんですが、放屁・・いや、豊肥本線って電化されているんですね。知らなかったぁ~っ!
電車の本数は比較的多く、約20分に1本の割合で運行されています。18時過ぎまででしたら、特急列車も運転されています。
肥後大津駅から会場まではシャトルバスが30分間隔で運転されていますし、熊本方面への上り列車も最終が22時57分 (熊本行き) ですので、アクセスは比較的良いですね。因みに特急の最終は肥後大津21時07分発ですので、真子さんのステージが終わって速攻で肥後大津駅まで戻れば、ギリギリ何とか乗れるかなという感じ。
 
今回のライヴでも 「もはねさんは (熊本のイベントに) 行かないの?」 とか方々で言われましたが、無理ッス。私はこの4回のライブのために全ての夏季休暇を注ぎ込みましたので、どうやっても無理ですし、いくら東京から新幹線で6時間とはいえ、熊本は遠いっ!
それでも 「行こうよ」 としつこく絡んできた奴がいましたが (誰とは言わないけど) 、ハッキリ言って首を絞めたくなりました。
 
その “首を絞めたい奴” だけ除いて、このイベントに行かれる方は、精一杯、応援してきて下さいね。
 

山陽電鉄に乗りました

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姫路からは山陽電鉄に乗り換えまして、神戸を目指すこととなります。
 
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私の中で山陽電鉄といえば、これ。
パノラミック・ウィンドウが国鉄の近郊形電車によく似ている3000系です。
3000系はその製造期間の長さから、様々なタイプに分類されますが、派生形式も含めると131両が製造 (あるいは改造) され、今でも山陽電鉄の主力となっています。
せっかく山陽電鉄に乗るんだから、こういった3000系の方が良いなと期待に胸を膨らますのですが・・・。
 
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残念ながら阪神の電車でした。
かつては、阪神や阪急も乗り入れていた山陽電鉄ですが、それも須磨浦公園まででした。
1998年、姫路まで他社の車両が乗り入れるようになりましたが、阪神だけが乗り入れる形になり、阪急の山陽電鉄乗り入れはその時中止となっています。昨年、イベントながら近鉄の車両が姫路まで乗り入れたこともあって、いずれ、奈良あるいは京都から近鉄特急が姫路まで乗り入れるなんてぇのも夢じゃなくなるかもしれませんね。
 
山陽電鉄は、神戸市の西代から山陽姫路までを結ぶ本線と、飾磨-山陽網干までを結ぶ網干線の2線からなる鉄道ですが、大手私鉄ではありません。また、阪急阪神ホールディングスの一員ではあるけど、企業形態としては独立した企業であるという、どっちつかず、宙ぶらりんの鉄道とも言われています。
 
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山陽電鉄は姫路から西代あるいは三宮までJR山陽本線とほぼ並行していますが、明石から先は殆ど接近戦になります。だからこういう光景も別に珍しくも何とも無く、至極普通の光景として成り立っています。
開業以来、山陽電鉄は国鉄 (JR) との競争に打ち勝つために、あらゆる策を講ずるのですが、その中の一つがやはり、阪急電鉄や阪神電鉄との相互直通運転じゃないかと思われます。今は阪急との相互直通運転は実施されていませんが、阪神を介して梅田-姫路間の 「直通特急」 で、JRに挑戦しています。
 
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JR山陽本線でも同じことが言えますが、山陽電鉄における神戸から明石までの車窓ハイライトはここかもしれませんね。
瀬戸内海+明石海峡大橋+淡路島という組み合わせは明石ならではの光景。電線が邪魔ですが、この光景を見ると、 「あぁ、明石に来たんだな」 と実感させられますね。
 
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やっぱり、海はいいなぁ・・。
 
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須磨でしょうか。
海沿いをJR山陽本線が走っています。
この辺りは昔から鉄道写真の名撮影地で、海をバックに様々な列車が行き交っていました。
 
山陽電鉄はやがて、板宿から地下に潜り、路線上の起点である西代を過ぎて神戸高速鉄道に乗り入れます。そして元町から先は阪神電鉄の路線となり、三宮で降りました。
この日の宿である 「神戸東急イン」 に行きたかったのですが、チェックインまではまだ時間があります。JR三ノ宮駅前でバスを撮りつつ、遅めの昼食を摂りつつし、ようやくチェックインを済ませ、しばし寛ぎます。足痛いし、胃も痛いし。
 
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夕方5時、少し早いけど (開場時間は午後7時) 、この日のコンサート会場である 「チキンジョージ」 に向かいました。
やっぱりここまで来ると、行かずにはいられない生田神社。 「チキンジョージ」 の隣にあります。
 
コンサート終了後は、ファン仲間と 「今宵の反省会」 を行って、午後11時過ぎにホテルに戻り、眠りにつきました。
 
 

東も西も環状線の色?

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今回の 「真子ライブ&ついでの鉄旅」 では、出発前に予め目的・目標を掲げまして、 「中鉄バスの二階建てバスの撮影」 「みらい観光の日野グランビューのリベンジ撮影」 「近鉄バスの 「OSAKA SKY VISTA」 の乗車」 「近鉄特急 「しまかぜ」 の乗車」 など、掲げた目標の9割以上を達成しましたが、唯一、達成出来なかった目標があります。それが画像にある 「大阪環状線に乗り入れる奈良電車区の103系を撮ること」です。
吹田総合車両所奈良支所 (旧奈良電車区) に所属する103系は、大和路線の他に奈良線やおおさか東線などにも投入されていますが、朝夕のみの限定運用ではあるものの、大阪環状線にも乗り入れる運用があるということ。よく考えてみると、東も西も環状線の色はうぐいす色なんだなということで、是非とも撮ってみたいなと、大阪滞在中のある平日、朝7時から10時くらいまで粘ってみたもののなかなかその姿を見ることが出来ませんでした。そういうわけで、JR黎明時の奈良電車区103系の画像を参考画像として添付しておきます。
 
後日、大和路線の車掌氏に話を聞いたら、 「1日1本しかない」 という回答で、時間を確認すれば撮れないこともないのかなと思うのですが、残念ながら今回はそのスケジュールには合いませんでした。でも、よく調べてみると、51Aと42Aという運用番号を持つ列車がそれに該当するようなんですが、1日1本というよりも、1本の列車が大阪環状線内を何回か周回するようなんですね。
 
具体的には、朝7時06分に奈良駅を出発した321Y列車は、7時48分に天王寺駅に着き、1分の停車の後、2321Y列車となって大阪環状線に入り、8時10分に大阪駅に到着。さらにここでも1分停車して1370列車と列車番号を変えて、8時11分に大阪駅を出発し、8時34分に天王寺に戻ってきます。天王寺で4分ほど停まって、1386列車になってまた大阪環状線を周回し、10時05分に京橋駅に到着、ここで回送列車となって吹田総合車両所森ノ宮支所 (旧森ノ宮電車区) に入庫します。
 
夕方、森ノ宮を出庫して、16時46分に京橋駅を出発した1487列車は、大阪環状線を3周した後、460Y列車となって奈良へと戻っていきます。
 
てなわけで、それこそ粘っていれば撮れないことはないのに、7時から10時まで粘って何で撮れなかったんだろうと悔やんでおりますが、次回以降の課題になりそうです。因みに同じ奈良の201系は、6両固定編成であるために、大阪環状線への乗り入れは実施されておりません。
 
【画像提供】
てっく様
【参考文献】
Railway Enjoy Net 関西の鉄道総合サイト
 
 
 
 

「SingAct」 渋谷公演レポート・第一部

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(渋谷・TSUTAYA O-EAST)
 
私の “夏” が終わりました。
8月21日から神戸、大阪、名古屋で行われた真子さんのライブ 「SingAct live Summer 2014 ~やわらかな幸せ~」 も残すところ、あと渋谷の1公演のみ。いよいよその日がやって来ました。楽しみと (ライブが終わってしまうことの) 寂しさとが交錯する中、私は本来の開場時間よりも2時間15分早い午後4時45分にこの 「TSUTAYA O-EAST」 にとうちゃこ (火野正平風に) しました。当然のことながら、私が一番乗り。
折りしも会場の外に出てきたスタッフに 「早いですね・・」 と苦笑される一方で、こっちも 「何となく、待ちきれなくて・・」 と切り返すと、 「解ります」 と一定の理解は示してくれたようです。
 
午後6時を過ぎると、さすがにちらほらとオーディエンスらしき人々が集まり始めました。顔見知りで挨拶する人もいれば、顔は見たことがあるけど、知らないなという人、全然顔も見たことが無い人様々ですが、これからこの人達と “One Night Dream” を共有するのです。
 
今回の私の整理番号はA-152番。神戸、大阪、名古屋は2ケタだったのに、何だよ、この桁外れの数字は・・。で、他のファン仲間に聞くとやはり3ケタの人が多かったのが印象的で、 「ファンクラブ先行予約なのに、何でこんなにも法外な数字なの?」 「あっ、もしかしたら、100代からスタートなんじゃないの?」 などと、やりとりをしていましたが、一方で 「10番台の人がいましたよ」 という声も聞かれたので、少なくとも152人はいるんだなと。さらに会場に着くと、Aの他に、B、C、当日券と並ぶ順番も記載されていたことから、もっと人は増えるんだなと実感しました (そりゃそうだ) 。
「O-EAST」 は、元々は立席専用のライブハウスで、立ち席だと1,000人くらいは入るキャパを持っているそうで、ここに椅子を置くと、その半分の500くらいになるんじゃないかという話を昔、聞いたことがあります。
いつもですと、会場前にグッズの販売が行われるんですが、今回はそれは無し。500人近い人がドッと会場内に入って、自らの席を探したり、グッズを買い込んだりするのに、30分 (開場から開演までの時間) で足りるのかなと、やはり物販は先行でやった方が良いんじゃないかと、老婆心ながら考えていました。さらに開場して観客を会場内に入れるのに際して、5人単位で呼んでいたのにも異議を感じ (言わなかったけど) 、相変わらず、段取りが悪い 「O-EAST」 側なのでした。
 
整理番号は3ケタでしたが、運良く前から3列目の席を確保することが出来ました。殆ど左端でしたが、今回のライブは全て、神戸も大阪も名古屋も前列の左端になりました。私は 「自分は窓際族だから・・」 と冗談半分、本気半分で皆に言っていましたが、もしかしたら、それが自分の “指定席” ? なのかな・・?
自分となさんの席を確保して着席すると、 「もはねさんですか?」 と声を掛けられました。はいと返答すると、 「島根の・・・」 と言うので、思わず直立不動。そして 「その節は本当に有り難うございました」 と深々と謝辞。
実はこの方、2年前に私に貴重な “真子グッズ” を譲って頂いた島根県の住職氏。
“小学生の頃、死ぬほど欲しかった” 真子さんのポスターがヤフオクに出品されていて、ギリギリまで電話回線の向こうの住職氏と鬩ぎ合っていたのですが、軍配は住職氏に上がりました。私も 「こればっかりはやむを得ない」 と諦めたのですが、2月に岐阜・長良川温泉で開催された真子さんのディナーショーで思いがけないサプライズが待っていました。何と、その “小学生の頃、死ぬほど欲しかった” ポスターを譲ってくれたのです。その時は住職氏とは会わず (会えず) 、後日、電話で謝辞を述べて落札代金 (確か6,000円) で買い取る旨を伝えたのですが、やんわりと拒否されまして、お言葉に甘えることになったという経緯があります。
そのポスターは今、きちんと額に納めて閉まってあります。
 
午後7時30分過ぎ、会場が暗くなり、バンドメンバーが登場します。
セットリストは過去3公演とほぼ同じですが、お復習いのために今一度、掲載しておきます。

 1:Life is beautiful

 2:やわらかな幸せ

 3:天使のらくがき

 4:私はオレンジ

 5:狼なんか怖くない

 6:天使の瞬間

 7:失恋記念日

 8:わたしの首領

 9:日曜日はストレンジャー

10:プリティー・プリティー

11:憂鬱の達人

12:夏の花びら

13:ワンダー・ブギ

14:ジュリーがライバル

15:春ラ!ラ!ラ!

16:clearly

17:揺れるカリプソ

18:猫は見ていた

19:My Friend! ~旅に出よう~

20:この夏いただき~恋のサマーダンス

21:Friend

22:ご機嫌日和

アンコール1:金木犀の香る頃

アンコール2:ロンサム・ロードの赤電話

アンコール3:GOOD-BYEは出発 (たびだち)

というわけで、セットリストは過去3公演と変わりありませんが、アンコールを1曲増やしてくれました。
 
「SingAct」 は、架空のアイドル歌手 「石ノ森正子」 の物語で、脚本を手がけたのは、2011年と2012年に真子さんが出演したミュージカル 「ヒロイン ~女たちよタフであれ~ 」 の演出を担当した川崎悦子氏。真子さんの直談判によって川崎氏の起用が決まったのだとか。
 
3曲目に 「天使のらくがき」 を歌いますが、ご存じの通り、あの歌はフランス人歌手、ダニエル・ビダルがオリジナルで、原題は 「Aime ceux qui t'aiment (汝を愛するものたちを愛せ) 」 ですが、1977年に真子さんはこの歌を歌って 「スター誕生!」 の第20回決戦大会に出場し、合格します。架空のアイドル歌手・石ノ森正子もこの歌でオーディション番組に出場します。その際にバンドのメンバーがプロダクションのなが書かれたプラカードを高々と掲げます。これは言わずと知れた 「 「スタ誕」 合格」 のシーンそのものなのですが、神戸でこのシーンを観た時、私は 「これ、我々オーディエンスでも参加出来るな・・」 と思い立ち、神戸公演終了後、真子さんのマネージャーである唐木田氏にその旨を伝え、了承を得ました (勝手にやれば演出の妨げになる可能性があるため、事前に許可を得る必要がある) 。それは、グッズで販売されていた団扇を 「天使のらくがき」 を歌い終わった後に、高々と挙げるというもの。早速大阪公演でそれを集まった観客に主旨を説明して協力を依頼、見事に成功して、その輪は名古屋や東京でも広がりました。真子さんも喜んでいたみたいですね。
 
しばしの休憩の後、第二部に入ります。
 
 
 

「SingAct」 渋谷公演レポート・第二部

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私の発案した企画が少しだけ当たって、良い感じで盛り上がりを見せている 「SingAct」 ですが、以前にもお話ししたように、演奏曲目の一部はカットされています。 「首領」 「日スト」 「ワンダー・ブギ」 「ジュリー」 「ラララ」 は2番をカットしていて、まるでメドレーのよう。当初はメドレーとして記録しようかと思いましたが、今回は普通に1曲として計算します。
そうそう、 「ジュリーがライバル」 で “石ノ森正子” が着ていた衣装、あれは当時着ていた “本物” だそうです (本人曰く) 。35年前とスタイルが変わっていないことになります。
 
それともう一つ、やりたいことがありました。
覚えていらっしゃる方も多いかと思いますが、 「春ラ!ラ!ラ!」 で、真子さんは徐にくす玉を取り出してそれを割ると、中から 祝! ザ・ベストテン」 という垂れ幕が出てきました。そうです、真子さんはこの歌で 「ザ・ベストテン」 初出場を成し遂げるのです (1980年2月7日) 。あれを 「ジュリーがライバル」 でもやらないかと。ここで 「ははぁ~ん」 と気づいた方はさすが真子ファン。真子さんは 「ジュリーがライバル」 で紅白歌合戦初出場となります (1979年12月31日) 。でも、実際のステージでは、くす玉は用意されなかったので、 「だったら、オレがくす玉を持ってきて、 祝! 紅白出場」 と垂れ幕を作って、割りたい」 と企画を練りました。しかし、東京で私の座る位置によっては、そのくす玉も目立たなかろうし、演出の妨げにもなりかねないことから、断念しました。東急ハンズまで行って、くす玉の物色までしたのにね。
 
なお、 「日曜日はストレンジャー」 「プリティー・プリティー」 の冒頭部、 「ワンダー・ブギ」 「ジュリーがライバル」 、そして 「春ラ!ラ!ラ!」 を演った際、神戸、大阪、名古屋では登場しなかった人達が現れて曲と真子さんに華を添えました。本人曰く 「真子史上初」 というバックダンサーの登場であります。テレビとかでは 「ザ・バーズ (日テレ系) 」 とか 「スクールメイツ (CX系) 」 の専属ダンサーがいて、アイドルの演奏を盛り立てていましたが、コンサートとかでは過去にそういうダンサーの出演はなかったそうなんです (意外ですね) 。出来れば、 「ワンダー・ブギ」 の間奏でダンサー同士が揉めて、真子さんが 「止めなさいっ!」 と一喝して欲しかったな。 ところが、真子さんは、その 「スクールメイツ」 の名前が出てこなくて、 「ザ・バーズとか、スクール・・・・あれっ!? 何だっけ?」 とあたふた。そこに私が 「スクールメイツ?」 と被せると、 「そうそうっ! スクールメイツだ。やっぱり、脳細胞が死んじゃうよ」 と冗談半分に言って会場を笑わせていました。
 
9月に入り、取りあえず季節は秋。
昨年のツアーでは、9月に入って一部演奏曲目を変えてきましたが (あれも実は、私がアンケートで 「9月に入ったら、季節感を出すためにも、夏の歌を変えてみては如何でしょうか」 みたいな要望を提出していた) 、残念ながら、 「夏を惜しんで」 ということで、今回は変えてきませんでした。しかし、ここでも。
真子さん、 「恋のサマーダンス」 を一小節抜かして歌いまして、バンドの演奏と合わなくなり凍り付く場面がありました。とにかく、今ツアーでの真子さんは、ちょっと歌をトチり過ぎです。1番と2番を混同させるのはヘンな話、当たり前。歌詞が飛んだり、今回のように一小節抜かしたりと、まぁ、ちょっと要所要所で聴くに堪えない部分が散見されました。いつもですと、 「歌詞を間違えるくらい、誰だってある。ミスを笑いに変えなきゃ、ミュージシャンじゃない」 と偉そうにミスを擁護するのですが、今ツアーに関してはちょっと、擁護出来る状況じゃなかったですね。大阪だったかな? 事もあろうに 「狼なんか怖くない」 をミスりましたからね。
 
その 「恋のサマーダンス」 が終わって、 「久々に 「恋のサマーダンス」 を歌いましたが、ちょうど10年前に原宿の 「Blue Jay Way」 でライブをやった時に歌ったのを覚えています」 というようなニュアンスの話をしましたが、真子さんのブログに 「今年は音楽活動再開後、初めてライブをやって10年になります」 というようなコメントを書き込みまして、弊愚ブログにも同じようなことを書きました。それを読んだかどうかは定かではありませんが、もしかすると、私の書き込んだコメントが何かしらのMCのネタになったのかなと勝手に悦に入っています。
 
アンコールでは、ド頭からスタンディングしました。せっかくのファイナルなんで、スタンディングすることで盛り上がりに拍車を掛けようと、周囲にはその旨を伝えて理解してもらいました。
しかし、 「 「金木犀の香る頃」 は立つ曲じゃない」 って言った奴がいたらしいですが、誰がそんなの決めた? 気持ちの問題だと思いますね。しかもそいつ、立とうとしている人を 「立つな」 とばかりに強引に座らせて立たせようとしなかったらしいんですね。自分が立たなければ良い話で、他の人を巻き込むなと言いたくなってしまいました。 言わなかったけど。
 
「ロンサム・ロードの赤電話」 では、会場に姿を見せていたせんだみつお氏がものすごくノリノリで、真子さんも苦笑しながらも喜んでいました。
それにしても、この 「ロンサム・ロードの赤電話」 はBメロからサビにかけてかなり高音になる歌なんですが、真子さんは33年前と同じキーで歌っています。真子さんは元々声が高い方ですが、33年前、いや極論を言えば、デビュー時とほぼキーを変えずに歌っているのは凄いことだなと感心しました。これだったら、高音歌唱の極地とも言える 「幸せの振りして」 もいけるんじゃないかと、期待を膨らませております。
 
そして、大ラスは 「GOOD-BYEは出発」 。ここでほぼ全員が立ち上がって、大合唱。
長くて短い2時間のステージは幕を下ろしました。そしてこの後、ハチマキ隊の主導によって 「サンキューソング」 をアカペラで歌いましたが、私は結局、まともには歌わなかったなぁ。
「サンキューソング」 に関しては、弊愚ブログでも問題提起しているように、 「いつ」 「だれが」 「どのように」 歌うのかをキチッと整理するべきだと唱えてきまして、名古屋でも今回の渋谷でもハチマキ隊にその旨を申し入れをしました。特に渋谷の会場は、神戸や大阪、名古屋よりかは遙かに広いキャパになりますので、余計に統制や歌い出しをしっかりしないと、とんでもない結果になるのは想像に難しくありません。さらに 「サンキューソング」 は、歌詞やリズムなど、アカペラで歌うには結構難しい曲で、咄嗟に 「歌え」 って言われて、歌える人がどれ位いるだろうかというのを考え、ここはシンプルに皆が知っている歌ということで、 「狼・・」 をいわゆる 「1981年の 「さよならコンサート」 仕様」 で歌うのはどうかというのも提案しました。しかし、ハチマキ隊はあくまでも 「サンキューソング」 に拘り、歌い出しの際はメンバー数人で統制をかけると回答がありました。
おそらく、今後のライブでも真子さんに 「ありがとう」 という意味合いでこの 「サンキューソング」 を歌うであるのでしょうけど、皆さんの目や耳で判断して、どういう結果に映ったか、教えて下さい。
 
ここでお知らせです。
9月6日の 「ジェイデバイスグループ納涼祭」 に呼ばれているというのはお知らせしたかと思いますが、熊本まで行けないという方は、12月まで待つことになります。
Acoustic Live 2014
12月4日 (木曜日) 19時開場 19時30分開演 ¥6,500-
キリスト品川教会 グローリア・チャペル
2009年以来、5年ぶりの品川教会での開催となります!
 
“HOLY NIGHT” CHRISTMAS DINNER SHOW 2014
12月22日 (月曜日) 19時開場、19時30分ディナー開始、20時45分ライブスタート
恵比寿・アクトスクエア
プレミアムシートが ¥28,000- スタンダードシートが ¥20,000-
2012年の長良川以来、2年ぶりのディナーショーとなります。
「Acoustic Live」 の方は、既に先行予約が始まっていますが、ディナーショーの方は、9月27日からチケットの発売を予定しているそうです。当日は、一張羅を着て参加して下さいとのことです。

今日の1枚・332

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事業者名:東急バス(東京)

仕様・用途:一般路線仕様

登録番号:品川200 か 2780

社番:A1461号車

配置:淡島営業所

初年度登録:2014年式

シャシーメーカー:三菱ふそうトラック・バス

エンジン型式:三菱6M60(T2)型

ボディ架装:三菱ふそうバス製造

車両型式:QKG-MP38FKF

車名:三菱ふそうエアロスター

撮影日:2014年9月3日(水曜日)

撮影場所:渋谷駅西口バスターミナル

祝! 「初新型エアロスター」 であります。
18年ぶりにフルモデルチェンジを実施したエアロスターですが、続々と納車されているようです。
初号車は神奈川中央交通がゲットしたようですが、神奈中に続いて、東急バスでも納車されたみたいで、昨日たまたま渋谷駅でバスを撮っていたら (本来の目的は、同じ東急バスに試験的に納車されている日野ブルーリボンの次世代ハイブリッドバス) 、真新しい顔のバスがやって来まして、新型エアロスターに関してはあまり意識しなかっただけに、この出現にはちょっと驚きました。

フルモデルチェンジとはいっても、大きな変更点は前面の顔が変わったくらいで、リヤとか細かな部分は前モデルとそんなに変更点はなさそうにも見えます。だからどっちかといえば、マイナーチェンジの部類に入るのかなと思ったりします。
初代モデルは丸目4灯、二代目は角目4灯のハロゲン、そして “三代目” は、角目二灯のHIDとなりまして、それまで四灯が基本だったエアロスターにとって初めての2灯式ヘッドライトとなりました。それから全車AT車となり、MT車は設定無し。エンジンも全モデル共通となり、インタークーラー付きターボエンジンを搭載しています。また、降車扉部分には折りたたみ式のスロープを標準装備し、設置と格納の時間を大幅に短縮しました。

この日、2台を目撃した東急の新型エアロスター。今後、続々と増えるでしょうね。
日野・いすゞ連合軍に奪われたシェアをどれだけ奪還出来るかが注目されます。


【参考文献】
バスラマインターナショナル No.145 (ぽると出版社 刊)

私にとっての “夏” が終わりました の巻

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9月4日 (木曜日) 曇り時々晴れ
 
昨日、真子ライブのファイナルが行われ、これで私にとっての “夏” が事実上の終わりを告げました。
セミの鳴き声も聴かれなくなりました。
8月の下旬から9月にかけて雨続きで、特に広島では大変な事になっています。やはり、今年の夏はちょっと異常だったのかもしれませんね。
 
明日からまた仕事を頑張らねば。12月に向けて。

羽衣線に乗りました

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一夜明けて、8月22日。この日から25日まではフリータイムとなりまして、何処に行っても、何をしてもいいことになっていました。当初、この日は、丹波篠山に行く予定にしていましたが、先方の都合で土曜日に予定を変更し、その代わりに22日に大阪市内観光バスに乗ることにしました。しかし、これも予定が大幅に狂い、11時の便に乗りたかったのですが、生憎満席で、14時の便なら空いているという返答だったので、14時で予約をしました。それが9時過ぎかな。この間、どうやって (時間を) 潰すか。取りあえず何の根拠も無しに天王寺まで出ました。そこで 「羽衣線に乗りに行こうかな・・・」 と初めて思い立ちました。
 
羽衣線は、列車運転上の通称で、正式には阪和線の一部に属しています。鳳-東羽衣間、僅か1.7kmの短い路線で、本線とは独立していて、天王寺とか和歌山への直通運転は実施されていません。
 
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というわけで、ここは鳳駅。
日根野に車両基地が設置される前は、この鳳に車両基地がありました。今でもその名残を留める電留線があり、鳳発着の列車も多く設定されています。
そして鳳駅で見かけた列車の速度標識。かつては、阪和線にも客車列車や貨物列車が行き交っており、戦前の古豪EF52からEF15、EF58、EF60、ED60といった機関車が客車や貨車を引っ張っていました。旅客用のEF52やEF58が貨物列車を牽くというのも阪和線ならではの光景で、2009年に廃止されています。この標識はその頃の名残であります。
 
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鳳駅にやって来た羽衣線用の電車。
先頭はクモハ103-2503で、1970年にモハ103-241として誕生して、明石電車区 (大アカ~現在のJR西日本網干総合車両所明石支所) に配属、1988年に学研都市線の分割・併合運転を行う際にクモハが必要となり、モハ103-241は運転台を取り付けて先頭車化改造され、さらに電気連結器及び自動解結装置を取り付けてクモハ103-5004になり片町線の淀川電車区 (大ヨト) に転属しましたが、1995年に電連と自動解結装置を取っ払われてクモハ103-2503となり、日根野電車区 (天ヒネ→近ヒネ→大ヒネ→近ヒネ~現在のJR西日本吹田総合車両所日根野支所) に転属して現在に至っています。
本来、羽衣線には専用の3両編成が運用に充たっており (Mc103-2504+M'102-451+Tc103-192) 、クモハ103-2503の編成は4両編成で本線に入る編成です。専用の3両が工場に入場しているせいでしょうか、代役で羽衣支線の運用に充当されていると推察します。
因みに相棒はモハ102-396ですが、モハ103-241とモハ102-396の落成は1970年1月ということで、殆ど私と誕生日が近い。
 
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東羽衣寄りの先頭車はおそらく、クハ103-162じゃないでしょうか。
クハ103-162は、クモハ103-2504 (モハ103-241) やモハ102-396と同じく、1970年1月生まれで、やはり明石電車区に配属されて京阪神緩行線で活躍しました。1983年に編成が解かれ、一足先に淀川電車区に転属して朱色に塗り替えられましたが、1995年に日根野に転属。その際に久々に青色に塗られて現在に至っています。
 
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これが羽衣線の方向幕。
かつては前面に 「鳳-東羽衣」 の表示を掲げていましたが、今は 「羽衣線」 を掲出しています。
でも、行く先が記されていないわけだから、 「For」 は要らないでしょう。
 
東羽衣行き電車は鳳駅を出発すると、すぐに右に逸れます。というより、鳳駅の構内で既に右にカーブしているので、この段階で独立した線路配置になっています。
しばらくすると、高架線になって、そのまま東羽衣駅に到着します。
 
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東羽衣駅で出発を待つ103系電車。
東羽衣駅は、1929年に阪和電気鉄道の支線開業と同時に設置されましたが、当初は 「阪和浜寺駅」 と言っていたそうです。阪和電気鉄道はその後、南海電鉄に吸収合併されて南海山手線となり、阪和浜寺駅は 「山手羽衣駅」 と駅名を変更しました。1944年に国策によって国有化され、南海山手線から阪和線となり、山手羽衣駅は 「東羽衣駅」 と3回目の駅名変更を実施しました。
羽衣支線が必要となったのは、おそらくこの近くにある浜寺海岸への輸送を目的としたんでしょうね。
 
とにもかくにもこれで本当の意味で阪和線は全線走破となりました。なお、関西空港線は一応、独立した路線であり、阪和線の支線ではありません。
 
 
 
 
 
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