21世紀になって、再び列車内における供食サービスが脚光を浴びていますね。
現代に蘇った供食サービスは、さすがに殆どが観光客をターゲットにしたもので、既存の車両を改造したりあるいは改造をせずに単にテーブルなどを設けたりして、外注に作らせた料理を提供するスタイルが主体となっているようです。近鉄にお目見えした新型特急 「しまかぜ」 にも “モハシ (モシ?) ” が連結されて、地の食材を使った料理が食べられるということで (レトルトでしょうけど) 、今から楽しみなんですが、かつての国鉄には特急や急行などの優等列車の編成には必ず食堂があって、車両にある厨房でコックが調理して、出来上がった料理をウエイトレスが運び、乗客は出来立ての熱々の料理を食べられた時代がありました。味にうるさい乗客の一部に 「高くて不味い」 と酷評されたようですが、私に言わせれば 「贅沢なこと言ってんじゃねぇ~よっ!!!」 ですよ。揺れる車内の中で、コックは次々に繰り出されるオーダーに応じて、腕を振るっているわけですから、少々味が落ちるくらい、我慢しろよと言いたくなります。確かに、昭和50年代に辛うじて生き残った特急の食堂車の中には、レトルト食品を使っていたり、あるいは事前に下ごしらえだけして、食堂内ではレンジでチンするだけという話を聞いたことがありますが、冷めた弁当を食わされるよりよっぽどマシだと思っていました。実際に私も特急 「白山」 で食堂車を利用したことがありますが (往路はサンドイッチ、復路はカレー) 、決して不味くは無かったと記憶しています。
人件費の問題やコックの確保、食材の衛生上の問題やら何やらで、昭和50年代以降、急激に姿を消していった食堂車。今は 「北斗星」 「カシオペア」 「トワイライトエクスプレス」 といった寝台特急にしか連結されていませんし、この3列車についても常に去就が取り沙汰されています。 「トワイライト・・」 は来年廃止が決定していますし、北海道新幹線が開通すれば 「北斗星」 も 「カシオペア」 もヤバいとされており、となると、もはや食堂車そのものが過去帳入りする日も遠くないのかなと、一抹の寂しさは拭いきれません。
さて、特急列車の食堂車は基本的に全室食堂という車両が一般的でしたが (151系には半室食堂車があった) 、急行電車の食堂車は画像のような半室食堂車が主流でした。気動車急行には存在せず、客車急行もオシ17の火災事故 (いわゆる 「急行 「きたぐに」 北陸トンネル火災事故) で一気に消滅。残った電車急行も50.3改正以降、運転区間の短縮や特急格上げなどによる列車の廃止、あるいは編成の短縮によって、ほぼ全滅に近い状態になりました。連結されていたとしても、食堂の営業はしていない列車が殆どで、最後まで営業を続けていた 「アルプス」 の食堂営業は昭和51年10月いっぱいで終了し、電車急行の食堂営業は幕を下ろしました。
ただ、 “半室食堂車” というだけあって、半分は座席であったことから、着席出来る乗客の確保とMG (電動発電機) を備えていたため、編成から外されないでそのまま連結されていた列車が散見されました。 「アルプス」 を始めとして、 「信州」 「妙高」 「佐渡」などの上信越急行、 「立山」 「ゆのくに」 などの北陸急行、 「まつしま」 「いわて」 などの東北急行にサハシは連結されていました。しかしそれも束の間、53.10改正で編成の見直しが行われ、上記の急行に連結されていたサハシは 「アルプス」 を除いて全て外され、そのまま廃車となってしまいました。
さて、画像は153系の半室食堂車、サハシ153です。
元々、準急用として製造された153系ですが、80系を上回るホスピタリティが好評だったことから、急行にも進出することになり、昭和36年10月のダイヤ改正で 「いこま」 「なにわ」 「やましろ」 「よど」 「せっつ」 といった列車に153系が充当されることになりまして、それに伴ってホスピタリティを更に上げるため、リクライニングシートを備えた一等車 (サロ152) と半室食堂車 (サハシ153) を製造し、それを2両ずつ連結しました。153系の急行初進出は前年に客車急行から電車化された 「せっつ」 なんですが、その時は食堂車の連結は無く、一等車も転換クロスシートのサロ153だったため、 「これじゃあ、急行のメンツがない」 とリクライニングシート付き一等車と食堂車の製造・連結を行うことになりました。だから 「36.10改正で導入された」 という記述は正確には誤りで、 「36.10から “本格的” に導入」 といった書き方の方が正しいかも知れませんね。
36.10改正から遡ること半年前の昭和36年3月、 「せっつ」 とその時客車急行から電車化された 「なにわ」 にサロ152とサハシ153が連結されましたが、サハシ153を語る上で絶対に外せないのが 「寿司コーナー」 でしょう。電車内で何とお寿司が食べられたのです。しかも職人さんが一つ一つ握った本格的なもの。今ほどネタにバリエーションは無かったものの、それでも “電車寿司” は大盛況だったそうで、今じゃ絶対に考えられないサービスですよね。酒燗器も備えられていて、熱燗も注文することが出来ました。
なお、2両連結されていたサハシのうち、1両はノーマルのビュッフェで、こちらは軽食が食べられました。また、当時はサロ152といえど冷房が取り付けられていませんでしたが、サハシ153の食堂部分だけ冷房が最初から取り付けられていました。
昭和39年10月の東海道新幹線開通とともに、東京-大阪間の電車急行は 「なにわ」 を除いて全廃 ( 「なにわ」 も43.10改正で廃止された) 。サハシ153は山陽本線の急行 「関門」 「宮島」 などに連結されましたが、寿司コーナーは寿司職人の人員不足もあって程なく営業終了。30両製造されたサハシ153はサハシ165に5両 (改造後はサハシ165の50番台となる) 、サハシ169に10両、事業用車クヤ153とクヤ165にそれぞれ改造されて、残る13両も昭和51年までに全て廃車となっています。サハシ169は全車がサハシ153からの改造で、オリジナルの新製車両はありません。
画像のサハシ153-18は最後まで153系を名乗っていたうちの1両で、昭和47年に宮原電車区 (大ミハ~現在のJR西日本網干総合車両所宮原支所) から下関運転所 (広セキ~現在のJR西日本下関総合車両所運用研修センター) に転属して山陽急行に使用されていましたが、ビュッフェの営業は既に休止となっていました。
前述のように、サハシ153は昭和51年に形式消滅しますが、このうち、近年までクヤ165が残されていました。顔面は165系に似たスタイルでしたが、側面は種車の面影が残っており、昭和62年の廃車後は佐久間レールパークに保存されていました。しかし、平成23年にオープンした 「リニア・鉄道館」 の保存対象から漏れて、佐久間レールパークの閉館とともに解体されてしまいました。以前にも弊愚ブログで取り上げたことがありますが、重ね重ね勿体ないなって気がしました。現存する唯一の電車急行の食堂車だっただけに、出来得ればサハシ153に戻して、 「リニア・鉄道館」 に保存して欲しかったです。そうしたら、食堂車に対する見方というのがもう少し変化したのではないでしょうか。
冒頭でも申しましたように、今、列車内の供食サービスが見直されています。
私は基本的に駅弁は食わない主義でして、どんなに地産地消の良い食材を使っていたとしても、昭和末期の食堂車じゃないけど 「冷めてて不味い」 という印象は拭えていません (ただ、富山 「ますのずし」 だけは別格) 。例えそれがレトルトでも、熱々で出来立ての料理を車窓を眺めながらいただく・・これが良いんじゃないですか。
鉄道技術界のカリスマとして伝説の存在になっている国鉄の副技師長・星晃氏のコメントにこんな言葉があります。
「食を楽しめる設備がないと、鉄道は生き残れないかもしれません」
私も同感だと思います。
列車食堂よ、再び・・・。
【画像提供】
岩堀春夫先生
【参考文献】
「国鉄車輌誕生秘話」 (ネコ・パブリッシング社 刊)
キャンブックス 「国鉄急行電車物語」 (JTBパブリッシング社 刊)
鉄道ピクトリアル 平成24年9月号 「特集・事業用車両」 (電気車研究会社 刊)
国鉄監修 交通公社の時刻表 昭和53年8月号 (日本交通公社 刊)
ウィキペディア 「国鉄153系電車」 「国鉄165系電車」 「JR西日本下関総合車両所」