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Channel: Club SKRAM ~もはねの小部屋~
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私鉄のロクサン型

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戦局が悪化し始めた1944年、省線電車 (→国鉄→JR) 用に製造された63形電車は、20m級4扉車という、現在の通勤用車両の基礎を作った電車です。大量輸送を念頭に置いた設計で、それまで17m級が精一杯だった省線電車の輸送力はアップされるものと期待されました。しかし時節柄、鋼鉄で出来た頑丈な車両をと期待していた現場と乗客は一気に裏切られることになります。そう、鉄材等は殆ど全てが軍事用、つまり、戦闘機や戦艦、さらには兵器等の素材として軍に持って行かれ、辛うじて鉄道用として残った材料と、木材を利用して製造されたため、出来は粗悪以外の何者でもなく、それでもこの真新しい電車で何とか輸送を確保しようという思いから生まれた産物でした。

1945年8月に終戦を迎え、戦闘機も戦艦も兵器も造らなくて良い事になった日本は、ようやく頑丈な鉄道車両を造ることが出来る体制になるはずだったんですが、終戦直後の物資不足で出来そのものは戦時中とさほど変わりないものでしたが、復員兵や外地引き揚げ者、さらには食料を求めて買い出しに行く利用客の輸送に充てるべく、大量に製造されました。そして、その輸送力確保が至上命題だったのは、何も省線電車だけでなく、私鉄各社も同様の悩みを抱えていました。その当時の私鉄は、今では考えられないほどの小型車両で、当時、20m級に近い車両を持っていたのは新京阪鉄道 (後の阪急京都線) と参宮急行電鉄 (後の近鉄大阪線) 、南海鉄道 (近鉄を経て南海電気鉄道に) くらいしか在籍しておらず、大量に輸送出来る大型電車はどの私鉄でも喉から手が出るほど欲しかったのは言うまでもありません。

そんな中、省線用として製造された63形電車を私鉄に割り振る構想が持ち上がり、候補として東武鉄道、西武鉄道、東京急行電鉄 (東急) 、名古屋鉄道 (名鉄) 、京阪神急行電鉄 (阪急) 、近畿日本鉄道 (近鉄) 、そして山陽電気鉄道でした。因みに、東京急行電鉄はまだ 「大東急」 の頃。つまり、今の京王、小田急、京浜急行が東急にいた頃を指します。近鉄も同様で、南海が近鉄の一部だった時の話です。このうち、西武と阪急が 「要らない」 と辞退したため、東武に40両、東急と名鉄と山陽電鉄に各20両ずつ、近鉄に10両という割り振りで投入しました。このうち、東急は軌間が1,067mm、直流1,500Vだったのは小田原線、江ノ島線、井の頭線の3線だけで、この頃の東横線や池上線、目蒲線は軌間はOKでも600Vで入線が出来ず、京王線と京浜線は1,372mmと軌間が異なるため入線出来ず、消去法で小田原線、江ノ島線、井の頭線に絞られるわけですが、井の頭線は建築限界、車両限界の違いからこの段階で消え、最終的に小田原線と江ノ島線に投入することが決まりました。

イメージ 1

受け入れた車両のうちの一つ、東武の63形です。
当時、63形は 「運輸省規格形電車」 と言われましたが、実際に割り振りや投入までの事務を引き受けたのは、日本鉄道会という業界団体でした。日本鉄道会という団体は、1945年に解散した鉄道軌道統制会に代わって、東武の根津氏が尽力して立ち上げた団体で、1948年にGHQによって解散の憂き目に遭いますが、これが現在の日本民営鉄道協会の母体になります。
1946年6月に日光線と宇都宮線で試運転を行ったのち、軌道や建造物 (ホームなど) の対応工事などを経て、実際に運転を開始しました。しばらくは原型を留めていましたが、1959年から車体更新が行われ、7800系と同じ車体を載せ、それを機に7300系と改称しました。

イメージ 2

こちらは山陽電鉄の63形で、社内では 「800形」 と呼称していました。後に改番が行われて 「700形」 となりました。
東急に割り振ろうとした車両が、車両限界や軌間の違いなどから投入線区が限られたというのは前述した通りですが、割り振った会社では唯一の標準軌を持つのが山陽電鉄でした。台車とかどうしたんだろうと不思議に思う方もいらっしゃるかと思いますが、台車はDT13そのまま履かせ、台車枠を広げて半ば強引に標準軌用にさせました。車軸を標準軌規格の車軸に主電動機を歯車側に寄せて取りつけていました。
山陽も63形入線に際して、軌道の強化 (道床砂利の塢き固めなども含む) などの工事を行って受け入れ体制を施しました。
改番された700形は、山陽電鉄車両の大型化に貢献しましたが、1951年に西代車庫で火災があって700形のうち、712-713の編成が焼失してしまいました。車体は黒焦げになったため、解体処分となりましたが、足回りは使えることが判り、この足回りに当時最新鋭だった2000系の車体を載せて、2700系としました。

イメージ 3

そしてこちらが南海の63形。当時の南海は京阪と新京阪、東急などと同じく、戦時中の国策で近鉄の一部になっていましたが、1947年に近鉄から再分離して南海電気鉄道として独立します。南海では1501形として活躍します。実際に近鉄籍で入線しておらず、1501形運転開始の日が近鉄と南海の分離の日でもあるので、投入時から南海籍で活躍することになります。
63形は本来、グローブ形ベンチレーターが基本ですが、南海入線に際していくつかの変更点がありました。画像をご覧になって頂いてもお判りのように、南海仕様はグロベンではなくてガーランド型ベンチレーターを取り付け、正面窓上の通風口を廃し、制御器は省線仕様のCSS電空カム軸式から、南海のモハ2001形と同じウェスティングハウス・エレクトリック社のALF-PC単位スイッチ式に変更するなど、随所に 「南海らしさ」 を採り入れました。
南海へは電動車のみの入線だったので、これにモハ2001形で使うクハ2801形とコンビを組ませました (後にクハ2821形も加わる) 。専ら南海本線で使用され、1949年からは戦前の電7系の流れを汲むクハ1801形やクハ1811形が組成相手となりました。

名鉄には3700系として入線しますが、割り振った私鉄の中ではいち早く放出したことで特筆されます。
名鉄は、旧愛知電気鉄道 (愛電) 系の東部線と、旧名岐鉄道系の西部線とに大別されていまして、東部線と西部線では出自が違うせいか、車両規格が双方で異なるため、東部・西部両線の直通運転が出来ませんでした。このため、3700系は東部線のみでの使用となったのですが、その東部線でも使いづらさが露呈してしまったために、1948年に東武と小田急に譲渡して姿を消しました。

イメージ 4

そして小田急です。
東急、小田急、京王、京浜急行を抱き込んだ 「大東急」 は1948年に解体して、それぞれ独立した企業になりますが、63形は前述のように、規格と軌間と様々な理由によって小田急に引き取られました。そして小田急では1800形と形式が与えられました。
小田急 (東急) には20両が割り振られたほか、前述の名鉄から6両が転入して総勢26両となりましたが、1947年に東急と相模鉄道との間で交わされていた委託経営が解除されたため、これによって1800形3編成が相鉄に移譲され、1951年に3000系と改番されています。
その後、様々な形態が出た1800形ですが、1957年から車体更新が始まり、ノーシル・ノーヘッダーという美しい車体に生まれ変わりました。これは多分に国鉄の72・73系全金車の影響を受けていると思いますが、塗装は茶色のままでした。

変化が訪れるのは1960年代後半になってから。
台車の枕バネを板バネからコイルバネに変更し、オイルダンパーを取りつけました。さらにブレーキシリンダーは車体中央に吊して前後の台車へ制動引っ張り棒で制動力を伝えるのが標準的でしたが、制動引っ張り棒が破損した場合、ノーブレーキになる危険があることから、ブレーキシリンダーは台車装荷に変更しました。この他、前照灯を2灯式に変更し、自動連結器から密着連結器に挿げ替えたりと、大がかりな体質改善工事を行いました。
1969年からは車体の外板塗装を白地に青の腹巻きという、後に小田急通勤車両の標準塗色になり、このままの状態で晩年を迎えます。

2600系や5000系といった次世代の通勤車両が次々に登場すると、1800形は次第に支線や区間運転での使用が目立つようになり、1981年から多摩線で使用されるようになります。
廃車は1979年からで、1981年までに全車が引退します。画像はその時のさよなら運転時だと思われますが、幸運にも秩父鉄道に引き取られて、22両が秩父で余生を過ごすことになりました。秩父鉄道では800形と呼ばれますが、皮肉にも秩父鉄道に63形の進化系とも言える元JRの101系が入線して800形を置き換え、1990年までに全車が廃車となりました。殆どが解体された中、デハ1801だけが生き残り、日本の某所で保存されているとのこと。

戦後間もない時から日本の通勤を支えた63形電車。そのDNAは改良形の72・73系、101系、103系、201系、205系、そしてJR東日本の209系、E231系、E233系、JR西日本の207系、321系、227系などへ連綿と受け継がれています。粗悪な車体、桜木町事故など、何かと不幸がつきまとう63形ですが、後世に残した礎は非常に大きいものがあります。

【画像提供】
山陽電鉄700形と南海1501形はウ様
東武7300系はは様
小田急1800形はジ写真部様
【参考文献・引用】
レイルウェイリブレット 小田急1800形 (戎光祥出版社 刊)
鉄道ピクトリアルNo.938 (電気車研究会社 刊)
鉄道ファン No.417 (交友社 刊)
ウィキペディア (名古屋鉄道、国鉄モハ63形電車、南海電気鉄道、南海1501形電車など)


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