「奈良線の103系」 でもお伝えしましたが、草津と瀬田でバスを撮った私は、瀬田の次の石山から京阪石山坂本線や京津線に乗って大回りで京都に向かいました。
無知を暴露しますが、ついこないだまで石山坂本線を 「いしやまざかほんせん」と読んでいました。正しくは「いしやまさかもとせん」なんですね。同様の例として、近鉄に田原本線という路線がありますが、これもつい最近まで「たはらほんせん (もしくはたわらほんせん) 」 と言っていたのですが、これも正しくは「たわらもとせん」って言うんですってね。
比叡山の麓にある坂本から琵琶湖を眺めつつ、石山寺までの14.1kmの路線で、日本史に出てくる重要な場所などを沿線に持ち、観光客も多く乗ります。 “鉄” 的には、本線の車両が全て新塗色に塗り替えられた中で、石山坂本線の電車は昔ながらの “旧京阪色” を守り通しているということでしょうか。
石山坂本線は石山 (京阪石山) から浜大津まで乗り、そこから今度は京津線に乗り換えて京都の中心地まで行こうという案を出します。現在、京津線は御陵 (みささぎ) から京都市営地下鉄東西線に乗り入れて太秦 (太秦天神川) まで足を伸ばしますが、私もそれで京都の中心地に行こうと思いました。でも、京阪の本線や阪急とは乗り換えが出来なさそうで (後に判ったことですが、京津線と京阪本線は三条で乗り換えが出来たようです) 、京都の鉄道土地勘が無い私は、御陵で乗り換えて、三条とは反対側の六地蔵まで行き、そこからJR奈良線で京都に向かうというルートを選択しました。
京津線も石山坂本線も急カーブと急勾配の連続で、特に併用軌道時代の京津線は、蹴上付近で最大66.7‰という、国鉄碓氷峠と同じ急勾配が立ちはだかっていました。ということは、当時の京津線の電車は横川-軽井沢間をEF63の補機無しでも上がれたということになりましょうか。まぁ、標準軌と狭軌の差はありますけどね。
特に感動の無いまま、石山坂本線と京津線の旅は終わりましたが、大谷駅の近くにある 「かねよ」 という鰻屋で 「きんし丼」 を食べたかったですね。時間的に無理でしたけど。