第360回放送 (1985年1月10日)
第1位:ジュリアに傷心 (ハートブレイク) /チェッカーズ ④
第2位:飾りじゃないのよ涙は/中森明菜第3位:恋の予感/安全地帯第4位:いっそセレナーデ/井上陽水2
第5位:雪にかいたLOVE LETTER/菊池桃子第6位:ハートのイヤリング/松田聖子2
第7位:スターダスト・メモリー/小泉今日子 初第8位:北駅のソリチュード/河合奈保子1
第9位:抱きしめてジルバ/西城秀樹第10位:恋人達のペイヴメント/ALFEE2
スポットライト:宮史郎 「片恋酒」
1985年 (昭和60年) が始まりました。
バブル経済という空前の好景気がひしひしと押し寄せている世の中だった頃、私は中学を卒業していよいよ高校生になりました。
この年の出来事といえば、大相撲の殿堂である蔵前国技館が昨年、惜しまれつつ閉館し、この年から両国に移りました。元々、国技館は両国にありまして、最初の国技館は現在の回向院の中にあったのですが、およそ100年前の1917年に失火によって全焼、再建されたのですが、戦時中は陸軍に接収されて風船爆弾の工場として活用しましたが、空襲で焼失、終戦後はGHQに接収されて 「両国メモリアルホール」 として数々のイベントや興行に使用されました。その間、大相撲の本場所は対岸の蔵前に新国技館を建設して、そこで行われました。接収解除後は一時期を除いて日本大学が所有し 「日大講堂」 となりました。大学での本来の使用だけでなく、プロレスやボクシングなどの興行も行われました。
この両国の新国技館は、日本相撲協会が1円の借金をすることなく、自費で建設したことも大きな話題になりました。それだけ日本相撲協会はお金を持っていたんだということになります。その初使用となる1月場所で一人の大横綱が引退しました。昨年、急死した北の湖で、当時としては大鵬に次ぐ24回の優勝を飾り、 「憎たらしいほど強い」 と形容されたほど、その強さは圧巻でした。
3月には青函トンネルの本坑が貫通しました。工事も最終段階に入り、その3年後に開業しました。そして今年、いよいよ新幹線が青函トンネルを通って、北海道に到達することになります。
ソ連 (現、ロシア) のチェルネンコ書記長が死去し、ミハエル・ゴルバチョフが書記長に就任したのもこの年。流行語にもなった 「ペレストロイカ (改革) 」 を推し進め、アメリカとの冷戦に終止符を打ち、1990年にはノーベル平和賞を受賞しました。
同じ3月、東北・上越新幹線の大宮-上野間が開通しましたが、この区間を開業するまでに相当の年月を要しました。新幹線を通す見返りとして、並行して在来線を建設し、混雑がハンパ無かった東北本線と高崎線、京浜東北線の救いの神的な路線として埼京線が開通したのはこの年の9月でした。
茨城県谷田部町 (当時) の筑波研究学園都市で開催された国際科学技術博覧会 (科学万博) は、のべ2千万人余りを動員した国際イベントでした。
4月、いわゆる 「三公社五現業」 のうち、電電公社と専売公社が民営化し、それぞれNTTとJTになりました。三公社のうち、残るは国鉄だけとなったのですが、民営化するのはそれから2年後のことです。
「夕やけニャンニャン」 が放送開始したのもこの年、これから幾度となく登場する 「おニャン子クラブ」 がデビューするのもこの年です。
1985年は、阪神タイガースファンにとっては、狂喜の年でしたね。4月のバース、岡田、掛布 (順不同) の 「バックスクリーン3連発」 は今でも語り草になっています。打たれた槇原投手は今でもネタにされてますけどね。
後々お伝えするであろう、松田聖子と神田正輝が結婚したのは1985年6月で、 「聖輝の結婚」 とも言われました。
そしてこの年最大の悲劇といえば、やはり8月に起こった 「日航ジャンボ機墜落事故」 でしょう。
乗客乗員520名が死亡し、その中には歌手の坂本九氏も含まれていました。1985年の下半期はこのニュース一色に染まりました。
夏の高校野球はPL学園が優勝するのですが、桑田と清原の 「KKコンビ」 にとっては最後の夏で、有終の美を飾るべく、大活躍をするのです。
9月にNTTが持ち出し用電話 「ショルダーフォン」 を発売しました。一般人が買える額では無かったのですが、これが現在の携帯電話のルーツとされています。また同月、ファミコンソフトの金字塔とも言われる 「スーパーマリオブラザーズ」 がリリースされました。
我らが石野真子さんが音楽活動を再開し、シングル 「めぐり逢い」 とアルバム 「サフラン」 をリリースしたのもこの年です。 「夜のヒットスタジオ」 で取り上げられましたが、 「ザ・ベストテン」 では取り上げられることはありませんでした。
スポーツ界に目を向けると、プロ野球は前述の通り、阪神が21年ぶりのリーグ優勝、そして日本シリーズも制覇しました。
F1はアラン・プロスト (フランス~マクラーレン) が初めてのワールドチャンピオンになりました。フランス人としても初めての戴冠となります。プロレスでは、全日本プロレスの外人トップレスラーだったブルーザー・ブロディが新日本に参戦を表明して大きな話題になりましたが、アントニオ猪木との対戦はいずれも歯車が噛み合わず、この年の12月に試合をボイコットして、事実上クビとなりました。
その全日本プロレスですが、前年に新日本を離脱して新たな団体 「ジャパンプロレス」 を興した長州力率いる維新軍団が全日本に参戦て馬場、鶴田、天龍と対戦。ここでも一大ブームを巻き起こします。
元、モーニング娘。の石川梨華と藤本美貴、そして吉澤ひとみ、女子サッカーの宮間あや、歌舞伎俳優の二代目尾上松也、スピードスケート選手の加藤条治、俳優でピアニストの松下奈緒、俳優の松山ケンイチ、横綱白鵬と鶴竜、元NEWSの山下智久、関ジャニ∞の大倉忠義、お騒がせタレントの小向美奈子、俳優の相武紗季、タレントの大沢あかね、俳優の蒼井優、イラン出身のタレントサヘル・ローズ、重量挙げ選手の三宅宏実、俳優の満島ひかり、宮崎あおいなどがこの年生まれです。なお、満島ひかりと宮崎あおいは同年同月同日生まれです。そして俳優の小池朝雄、歌手の笠置シズ子、小説家の川口松太郎、タレントのたこ八郎、俳優の夏目雅子、俳優の大友柳太郎、米俳優のロック・ハドソンといった人達がこの世を去っています。
前置きが長くなりましたが、1985年最初のランキングは上位3曲に変化は無く、比較的落ち着いたランキングでした。
そういえば、西城秀樹が久々のランクインを果たしていたんですね。前回も同じようなことをお伝えしたと思いますが、前回に引き続き 「西城秀樹の妹」 という触れ込みでデビューした河合奈保子と久々の “兄妹共演” も実現しました。これも1982年8月以来、約2年ぶりになります。
キョンキョンの新曲 「スターダスト・メモリー」 が7位で初登場。この曲はアルフィーの高見沢さんの作詞・作曲。高見沢さんはキョンキョンに何曲か提供していますが、この 「スターダスト・メモリー」 が初めてじゃなかったかな?
「スポットライト」 は 「ぴんからトリオ (後のぴんから兄弟) 」 の宮史郎。
「ぴんからトリオ」 といえば、男性でありながら女性の心を切々と歌った数多くの楽曲で知られ、特に 「女のみち」 「女のねがい」 「女のゆめ」 は大ヒットとなって有名になりました。
1973年にメンバーの並木ひろしが脱退して 「ぴんから兄弟」 となり、さらに1983年に 「ぴんから兄弟」 は解散して、ソロでの活動となり、メンバーで宮史郎の兄でもある宮五郎は史郎のマネージャーとなりました。
宮五郎は2004年に、並木ひろしは1998年に、そして宮史郎本人も2012年にそれぞれ他界しています。