事業者名:京阪京都交通(京都)
仕様・用途:一般路線仕様
登録番号:京都200 か ・863
社番:K057号車
配属:亀岡営業所
初年度登録:1993年式
シャシーメーカー:三菱自動車工業
エンジン型式:三菱6D22型
ボディ架装:新呉羽自工
車両型式:U-MP218M
車名:三菱ふそうエアロスター・K
撮影日:2010年7月23日(金曜日)
撮影場所:京都駅烏丸口
めっきり見る機会が少なくなった初代エアロスター。その中でも呉羽ボディを架装した 「エアロスター・K」 は存在そのものが稀少化しつつあります。エアロスターは、それまでのMP1/5系の後継モデルとして1984年に登場しましたが、当初から三菱自工名古屋製作所 (大江工場) と呉羽自工製の車体が標準ボディとして架装されました。同じ車体ながら両社で若干の差異があり、ユーザー (事業者) は好みのボディを選択する事が出来ました。
エアロスターには、路線バスモデルではいくつかの革新的な新機軸が盛り込まれていました。その中でも特筆すべきは世界初と言われている 「電気・エア式シフトコントロール」、通称 「フィンガーコントロールトランスミッション」の採用でしょう。それから登場当時は未来的とも思えたセーフティーウィンドウの採用も見逃せません。セーフティウィンドウの形状も “M” と “K” では若干の差異がありまして、それぞれのアイデンティティにもなっています。稀にセーフティーウィンドウを好まない事業者もいたりして、特注でセーフティーウィンドウを持たない仕様も登場しています。横浜市交通局や神奈川中央交通、北陸鉄道、大阪市交通局辺りが (セーフティーウィンドウを持たないボディを採用した) 代表的なユーザーだったりします。
これを機に、路線バスモデルもエアロバスシリーズに加わり、 「エアロスター」 を名乗るようになったのです。また後年には、富士重工や西日本車体工業もボディを架装するようになりました。
これを機に、路線バスモデルもエアロバスシリーズに加わり、 「エアロスター」 を名乗るようになったのです。また後年には、富士重工や西日本車体工業もボディを架装するようになりました。
聞いた話によると、MP系のモデルチェンジを機に、呉羽と三菱名古屋のボディを統一しようという動きもあったようなんですが (1970年代の一時期ではありますが、呉羽、三菱名古屋共々、同じB35型ボディを架装していた時期があった) 、呉羽の工場と名古屋の工場では、製造ラインに違いがあって、統一モデルを製造する事は出来なかったらしいんです。例えば、MS7系エアロバスで初めて採用された 「スーパーコンプストラクチャー」 という工法は名古屋だけに存在したもので、呉羽ではこのラインが組まれていなかったので、やむなく従来の工法での製造となったという言い伝えがあります。なわけけで、同じエアロスターでも三菱名古屋と呉羽で異なるボディを生産しなければならなかったのです。
1985年には、呉羽自工の商号が 「新呉羽自動車工業」 となっています。
1985年には、呉羽自工の商号が 「新呉羽自動車工業」 となっています。
当時からふそうを好むユーザーで 「名古屋派」 と 「呉羽派」 が存在し、関東鉄道はどちらかというと呉羽派、神奈中、北海道中央バスも路線に限って言えば呉羽を多く導入しました。それに対して名鉄や両備バスなどは名古屋オンリーで、東京都交通局は三菱、呉羽の両社を採用しています。因みに都バスは、渋谷、早稲田が呉羽、千住、南千住、青戸が三菱名古屋と分けていました。
1992年に観光・高速系のエアロバスとエアロクィーンがフルモデルチェンジし、同時に呉羽と名古屋で統一モデルを生産するようになり、バス製造の集約化が本格化します。そして1993年、ついに新呉羽自工と三菱名古屋製作所が統合し、新たに三菱自動車バス製造 (MBM) を発足させて再出発します。エアロスターも統合モデルとなって、 「エアロスター・K」 は生産を終了しました。
画像は1993年式ということで、エアロスター・Kの最終モデルということになります。
塗装こそ京阪バスですが、これは京阪グループの京阪京都交通という事業者が所有する車です。
社名が示すように、元は京都交通だったのですが、2004年に京都交通は経営破綻して、丹後地方を中心とする京都北部エリアは日本交通が受け皿となって、社名は京都交通のままですが今は日本交通グループに入って再出発を図っています。そして亀岡を中心とした京都南部のエリアは京阪バスが経営を引き継いで、京阪京都交通となりました。
5年前に撮影したものですが、朝から京都の暑さに参ってしまったのを思い出します。この時も大阪が目的地だったのに、京都で降りました。世代交代が噂されていた京阪のエアロキングを撮影するのが目的で、大汗掻きながらエアロキングが来るのをひたすら待っていました。その目的は果たしましたが、たまたまやって来たエアロスター・Kも撮影出来て良かったと小躍りしていました。旅そのものも暑さの中ではありましたが、今もなお、強烈なインパクトを残しています。
塗装こそ京阪バスですが、これは京阪グループの京阪京都交通という事業者が所有する車です。
社名が示すように、元は京都交通だったのですが、2004年に京都交通は経営破綻して、丹後地方を中心とする京都北部エリアは日本交通が受け皿となって、社名は京都交通のままですが今は日本交通グループに入って再出発を図っています。そして亀岡を中心とした京都南部のエリアは京阪バスが経営を引き継いで、京阪京都交通となりました。
5年前に撮影したものですが、朝から京都の暑さに参ってしまったのを思い出します。この時も大阪が目的地だったのに、京都で降りました。世代交代が噂されていた京阪のエアロキングを撮影するのが目的で、大汗掻きながらエアロキングが来るのをひたすら待っていました。その目的は果たしましたが、たまたまやって来たエアロスター・Kも撮影出来て良かったと小躍りしていました。旅そのものも暑さの中ではありましたが、今もなお、強烈なインパクトを残しています。
【参考文献・引用】
バスラマインターナショナル No.120、131
BUSRAMA EXPRESS No.12 「三菱ふそうエアロスター」
(いずれもぽると出版社 刊)
バスマガジン Vol.67 (講談社ビーシー社 刊)
バスラマインターナショナル No.120、131
BUSRAMA EXPRESS No.12 「三菱ふそうエアロスター」
(いずれもぽると出版社 刊)
バスマガジン Vol.67 (講談社ビーシー社 刊)