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Channel: Club SKRAM ~もはねの小部屋~
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答えがない 「永遠のテーマ」 なのかも・・ の巻

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8月10日 (日曜日) 曇り時々雨
 
大型の台風が西日本地域に大きな爪痕を残し、青森や北海道では最大震度5弱という大きな地震がありました。日本中がパニクっていた1日でした。
 
さて、些か旧聞になってしまいますが、私は先週の金曜日に日帰りで下田に行って来ました。
いつものように未明の3時に出発し、8時には下田に到着していましたが、台風の影響は金曜日に既に伊豆に押し寄せていました。
 
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これは8日の下田・入田浜海岸の画像です。
3~4mはあろうかという高波が押し寄せています。
当然のことながら、遊泳禁止となっており、海水浴場の入口にはロープが張られていて、砂浜にも行けませんでした。下田の海水浴場はどの浜も水質が群を抜いており、私もよく 「遠くの沖縄より、近くの下田だよ」 とその良さをアピールしていますが、交通の便の悪さが災いして、あとは客層が贅沢なったからか、ここ数年は客足が途絶えており、かつての賑わいはありません。
 
仏壇に手を合わせて、墓参りをし、親戚従兄弟の顔を見た後、午後2時過ぎには下田を発ちました。次の日は仕事。だから早い段階で出発して、早い段階で帰京したかったのです。そして私はこの段階で大きく多寡を括っていました。それは 「お盆に入る前の平日だから、道も空いているよ」 という考え。しかし、それは大きな誤算でした。海水浴に行けない観光客が足早に帰路に就いたせいか、渋滞ではないにしても、天城峠に差し掛かる辺りからスピードが極端に遅くなり、このノロノロ運転が三島に出るまで続き、下田を出発して伊豆半島を脱出するのに2時間を要してしまいました。
 
極めつけは東名高速道路。沼津インターから東名に入る予定でいましたが、 「秦野中井-横浜町田 渋滞20km」 という電光掲示に愕然唖然。 「まさか・・・」 「そんなバカな・・・」 「ウソでしょっ!?」 という気持ちが交錯しました。そこで可能な限り、下道を通ろうと、沼津市の岡一色という交差点から国道246号線に入りました。吉と出るか、凶と出るか・・・。
松田町までは順調でした。しかし、秦野市内に入ると、ナビの地図は赤いライン (つまり、渋滞を意味する) が目立つようになり、しかも長く延びており、やはり下道もそうすんなりとは行かせてくれません。皆、同じことを考えているのでしょう。迂回ルートを検索しても、走る度に 「渋滞情報が変わりました。新しいルートでご案内します」 とメッセージが流れ、ナビをしてもドツボに填っている状況に陥っていました。迂回している道路が混んでいるんだもん。時折、 「何のための迂回ルートなんだよっ!!」 と、ナビに八つ当たりする場面も。結局、気がついたら平塚市内の小田原厚木道路まで出てしまい、ここでギブアップ。 “小田厚” から東名に入ることにしました。
 
東名、特に上り線における渋滞のサミットは、大和トンネルですが、今回も大和トンネルを先頭にした渋滞でした。それを過ぎたら、渋滞も解消されてすんなり行きましたが、家に着いたのは9時30分、下田を発って8時間という所要時間でした。因みに渋滞がなく、途中、何処にも寄らなかったら3時間半で行けます。
 
よく 「高速道路の渋滞に巻き込まれたら、残るべきか脱出して下道で行くべきか」という議論が繰り広げられていますが、これは答えのない “永遠のテーマ” なのかもしれません。
高速道路にしても一般道にしても、渋滞の回避方法は一長一短で、 「これが正しい」 というのは無いかと個人的には思います。高速道路の渋滞は、ノロノロでも動くし、信号が無い分、先へも進めるというメリットの一方で、一度 (ひとたび) 渋滞に巻き込まれたら、次のインターチェンジまで逃げられません。その途中でサービスエリアやパーキングエリアがあれば、そこでインターバルを置くことが出来ますが、S.A.もP.A.も無い区間ですと、トイレに行きたくなった時にゃあ、シャレになりません。一般道は高速道路以上に動かないけど、逃げ道は取りあえず幾通りかあります。しかし、その迂回路を間違えると、とんでもない場所に行かされてしまい、涙目になることもしばしば。高速にしても、下道にしても、渋滞に巻き込まれたら、それは諦めるしかないのかもしれませんね。
因みに、後で分かったことなんですが、国道246号線で松田町まで到達した時に、それを右折して国道255号線を南下し、小田原から国道1号線経由で行けば、国道1号線は渋滞無しだったとか。それは結果論です。
 
台風の影響はまだ残るものの、これから帰省する方も多いかと思いますが、渋滞に巻き込まれることはあっても、事故にだけは巻き込まれないようにして下さい。

今日の1枚・327

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事業者名:東都観光バス(東京)

仕様・用途:観光貸切仕様

愛称:シルエット・スーパー

登録番号:練馬22 か 5034

シャシーメーカー:いすゞ自動車

エンジン型式:いすゞ10PC1型

ボディ架装:富士重工伊勢崎

ボディ型式:富士重15型HD-2

車両型式:P-LV719R

車名:いすゞスーパークルーザーSHD

撮影日:1989年5月3日(水曜日)

撮影場所:東京駅丸ノ内口前

つい最近まで、KC代のスーパーハイデッカーが生き残っていたようですが、公式HPを見る限り、全て引退した模様の東都観光バスのスーパークルーザーSHD。はとバスや国際興業と並んで、東京におけるいすゞの超大口ユーザーとして知られていますが、はとバスも国際興業もオールいすゞではなくなりつつあり、日野や三菱を導入していることを考えると、東都のいすゞ一辺倒は、今のバス情勢を考えた時にかなり稀有な存在だと思います。しかし東都の場合、いわゆる 「特別仕様車」 が無く、在籍車両のほぼ100%が汎用車両ということで (ボディサイズの大小はありますが) 、これも稀有な存在。趣味的な範疇では面白くない事業者ではありますが、 「どれにしようかな・・・」 ではなく、 「これしかありません」 ということで、安定して供給出来る事業者として信頼は厚いのではないでしょうか。ラーメンの世界でも 「味噌にしようか、醤油にしようか、チャーシュートッピングしちゃおうか・・」 という選び方ではなくて、 「これしかありません」 の方が良いのかもしれませんね。

さて、そんな変わり映えのしない汎用車ばかりを揃えた東都観光バスですが、過去には趣味的に琴線に触れた車両がいくつか存在しました。
一つは、いすゞP-LV219Sをベースに、正規の窓下にさらに透明の硝子 (実際はポリカーボネート樹脂製なんですが) と天窓を組み込んで、眺望を良くした 「くりすたる号」 。もう一つが画像の 「シルエットスーパー」 。この 「シルエットスーパー」 は、 「くりすたる号」 の失敗を教訓に (女性から 「覗かれている」 というクレームがあったらしい) 、その後の増備車は天窓だけ配して、屋根からの眺望に特化した仕様として、1988年に登場。画像の車も登録番号の数字から、おそらく1988年式と思われます。以降、同社の看板車両として100台以上が導入されましたが、晩年はその天窓は埋められたようです。

今に続く白をベースにした東都観光のカラーはこの 「シルエットスーパー」 から始まったんじゃなかったかな? それ以前の東都観光のカラーは、もう少し赤が強調されていましたからね。
もはや東都観光には、スーパーハイデッカーは導入されないでしょうから、 “古き良き時代” のスペシャルなバスを懐かしんで下さい。

【参考文献】
東都観光バス公式ホームページ
観光バスのページ

日本人は信頼出来ないのかな? の巻

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8月11日 (月曜日) 晴れ
 
仕切り直しの “お盆休み” が始まりました。私はあと1週間我慢しなければなりませんが、この1週間を我慢すれば、きっと楽しい1週間が待っていると信じています。
 
さて、私は以前にもお話ししたように、サッカーが何よりも大嫌い。しかし、その “サッカー嫌いのド素人” が言わずにはいられないことを申し上げます。薄々はお解りかと思いますが、この度、新たなサッカー日本代表の監督が決まりましたよね。しかし、何で外人ばかりなの? ザッケローニにしても、ジーコにしても、トルシエにしても、もっと古ければオフトというのもいた。サッカー嫌いでも、サッカー日本代表の監督というと、何故か外人しか思い浮かびません。日本人は岡田 (武史) 氏だけしか思いつきません。何故、外人ばかりに頼るのですか? 日本サッカー協会は、日本人を信頼していないですね。
 
日本人にロクな奴がいないから?
日本が負けても、言葉の解らない外人監督だから、いくらでも非難出来るから?
etc・・・
 
理由は様々あるのかと思います。
でも、野球のWBCだって、基本的には日本人が監督をやっているし、バレーボールだってそうじゃないですか。何故、サッカーだけ・・? 逆に言えば、日本のサッカーは、日本だけでは勝ち目がないからの裏返しになるかと思うんですよね。適任な人材がいないのであれば、適任にすべく周囲が育てなければダメでしょうし、監督やコーチを含めた首脳陣も含めた 「オールジャパン」 であれば、日本人はもっと応援するのではないでしょうか。そこに言いしれぬ矛盾点を感じずにはいられません。
 
今回の監督はメキシコ人だそうですが、ラモス辺りに監督をやらせてみては? 意表を突いて、セルジオ越後とかね。まず、他人 (ひと) を批判するのであれば、自分自身でやってみることだ。
 
 

鉄道模型ショーに行って来ました ③

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今更ながら、鉄道模型ショーレポートです。
第3回目はお待ちかね、トミックス (トミーテック) です。
 
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やはり、今回の目玉は新幹線0系でしょう。
今年は東海道新幹線開業50周年ということで、各メーカーとも0系をリリースしていますが、トミックスは大窓のオリジナル車両を新規製作で製品化しました。ただ、今回は開業時に拘り、食堂車が編成に組み込まれる前の 「ひかり」 編成と、 「こだま」 編成、そして限定販売で昭和39年10月1日の 「ひかり1号」 に使用された 「H2編成」 がリリースされます。
 
トミックスでは以前から小窓の2000番台を製品化していまして、それを細かな小改良を重ねながら現在まで生産が続けられていますが、実車ではオール2000番台という編成は存在せず、大概、0番台+1000番台+2000番台の混成で組成されていました。しかも食堂車 (36形) やパンタ無しグリーン車 (15形) は今まで一度も製品化されず、トミックスの場合は 「こだま」 編成しか組成出来ませんでした。そういう意味ではカトーの圧勝だったわけですが、トミックス信者の方々は 「いつかHG仕様で0系がリリースされないか・・?」 と夢を膨らませていたに違いありません。
 
今回はHG仕様ではないものの、出来としては、2000番台の上を行く水準なのは説明するまでもないのですが、今後、1974年以降の編成 (食堂車組み込み) も再現出来るよう、アイテムを増やすことはあるのでしょうか? また、小窓の1000番台も期待したいですね。
 
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画像がピンボケですいません。
今年の3月に惜しまれつつ定期運用が終了した “最後” の寝台特急 「あけぼの」 。やはりトミックスはこの最終運転日を模した 「さよなら」 セットを送り込んできました。
使用車両が14系と24系で異なるのですが、製品仕様としては随分前にリリースされた 「さよなら “北陸” セット」 と似ています。カタログ落ちして久しかったEF64-1000もこの 「さよなら “北陸” セット」 を機に、蘇ったわけですからね。
 
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そして、これも目玉っちゃあ目玉なんですが、いよいよ167系のボディが姿を現しました。
167系は1966年に登場した修学旅行専用車両で、それまでの155系と159系が153系ベースだったのに対し、この167系は165系がベースとなっています。故に耐寒耐雪装備や勾配用抑速ブレーキも完備しています。
トミックスでは、HOゲージで155系を製品化していますが、今度はNゲージで167系を製品化するということで、 「何ちゅうバランスやねんっ!?」 っていうのが率直な感想。あくまでもザックリとした予想ですが、Nゲージでは以前から165系を、HOゲージでは153系というそれぞれのベースになった車両を製品化していますので、下回りが使えます。それでボディと屋根を新規に作れば (155系の場合は台車も) 、バリエーションが広がるとトミックスは企画したのではないでしょうか。
ゆくゆくは、167系も湘南色とか冷改車とかJR仕様とか、様々な派生製品も期待出来ます。
 
因みに、0系の試作品なんですが、この塗装は私の大学の同期であるトタ君が手がけています。トミックスの情報誌 「キロポスト」 のNo.109で、0系が表紙を飾っていますが、あれもまさにトタ君が塗装を施しています。そして、この167系のボディ塗装に関しても、トミーテックからオファーが来ているので、その出来映えに注目したいと思います。
 
「もういいよ・・」 という声が聞かれそうですが、次回はトミックスのパート2を出来ればやりたいなと考えています。企画倒れに終わるかもしれないけど・・・。
 
 
 
 
 

私の好きな女性のタイプ の巻

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8月12日 (火曜日) 曇り時々雨
 
お盆だというのに、雨が降ったり止んだりと、夏らしくない一日でした。
 
さて、1週間前の話になりますが、私は職場の 「出会い系イベント」 に応募しました。最近は、郵政の職場でもそういう 「出会いの場を・・」 という機会を設けてくれるということで、随分と進歩したものだなと感心しますが、逆に言えば、それだけ郵政の職場は “出会い” が無いのかなと危惧したりします。でも、私の知る限りでは、配達や仕分けの部署ですと、ゆうメイト (アルバイト) に手を出したりしているケースが多いかなって気がします。私は過去にそれで何回泣いたことか。また、貯金 (ゆうちょ銀行) や保険 (かんぽ生命) 、さらには特定局ですと、同業者との “職場恋愛” をよく耳にします。後輩のへこへこ君は、職場の同僚の友人と結ばれていますが、 「同僚の友達を紹介される」 というケースもあったりしますね。あと、これは稀なケースですが、 「配達先の女性と結ばれた」 例もあります。私の先輩なんですが、ロマン以外の何者でも無いのですよね。たまたま書留を配達した時に、たまたま応対したそこの家のひとり娘にぞっこん (今どき、 “ぞっこん” なんて言葉を使う奴なんていないけど) 惚れてしまって、猛烈にアタックしたという経緯。運が良かったのが、その配達先のひとり娘というのが、職場の同僚の親戚だったということ。私は二十数年、配達の仕事をしていますが、そういう “運命の出会い” に遭遇したことはないですね。
 
よく 「もはねのタイプってどんな女やねんっ!?」 と聞かれます。職場だけならまだしも、親戚従兄弟にも事ある度に追求されます。そんだけ 「もはねの嫁」 というのが酒肴のネタになるのでしょうか?
 
好きな女性のタイプ・・・そりゃあ、種々雑多ありますが、決して 「石野真子」 ではないんですよ。
大×5ファンだけど、 “好きな女性のタイプ” として捉えるのであれば、真子さんはそれに該当しません。個人的に真子さんは “神” ですので、恋愛対象してはそれに当てはまらないことになります。
ここからが具現化してしまうのですが、現実的な条件として、今もグッときてしまうのが 「字の綺麗な人」 が挙げられます。
これも個人的な拘りなんですが、 「字の綺麗な人は、その人物の性格をも表す」 という勝手な解釈があります。書道家みたいな何を書いているんだか判らないほどの達筆じゃなくて良いんです。極々普通に “綺麗な字” を書ける人にちょっとグッと来ます。
10年近く前の話になりますが、やはり書留を配達しに、とあるお宅へ配達したことがあります。書留郵便物は、押印かフルネームのサインになりますが、そこで高校生の娘さんが応対したんですね。
 
 「書留なんだけど、ハンコ、ある?」
 「ハンコがないんですけど・・」
 「じゃあ、フルネームだけどサインでも良いよ」
 
というやりとりで、サインしてもらったんですが、その字の思いっきり綺麗なこと。それで思わず言っちゃいました。
 
 「字・・綺麗だね」
 「そうですか・・?」
 「字の綺麗な人は性格も良いって言うから、君もきっと、良い性格の持ち主なんだね」
 「えへへ・・・」
 
というやりとりを今でも忘れません。それだけ、その字に惚れまくったんでしょうね。以来、そこに書留の配達に行くのが楽しみになりました。もっとも、配達するのが平日の日中が殆ど故に、在宅している可能性は極めて少ないですけど。
 
もう一つの 「好きな女性のタイプ」 として、 「下ネタが好きな女性」 があります。
但し、 「下ネタが好き・・」 といっても、あからさまに下ネタを連発するんじゃなくて、会話の中で下ネタを織り交ぜるのが条件で、且つ、下ネタだと判っていても、その会話の内容が全然嫌らしくないというのがありますけどね。要は 「会話が上手い女性」 とでも言いましょうか。でも、これって結構難しいと思いますよ。下ネタを嫌らしくなく話すというのは、個人的には “神業” 的な高レベルなものだと思っていますので。
 
十数年前に、とある女性との会話で、 “酔った勢い” というのもあったんでしょうけど、思わず下ネタが出ちゃったんですよね。咄嗟に 「ヤバいっ! セクハラになるっ!」 ってある程度の覚悟はしたんですが、その女性は動じることなく、見事に下ネタで切り返してくれました。その時に 「この女 (ひと) 、大人やわ・・」 とも思ったし、人間としての懐の深さを感じたし、何よりも下ネタを織り交ぜた話術の巧みさに目から鱗が落ちました。要は受け取り方なんだと思います。
確かに下ネタは受け取り方一つで感じ良くも悪くもなるんですが、その女性は相手を傷つけることなく、見事に切り返し、しかもその会話をもっと面白いものにしてくれたんですね。それで私はその女性が (人間的に) 大好きになりました。こっちの話し方もあるのでしょうが、その時はたまたまだったのかもしれませんね。全ての女性に同じ話法は通用しないと思いますから。
 
でも、相手も “切り返す” という術は備えてあった方が良いのかなって思います。男も同じことが言えるかと思いますが、意固地に 「女性蔑視だ」 というのではなく、一呼吸置いて、上手い具合に切り返せる女性 (男性もですが) が人間としてリスペクトされるのではないでしょうか・・・。
 
その “出会い系” イベント、 “当選” したら、話術に長けている女 (ひと) を探したいと思いますが、何せ、競争率が激しいこのイベント。2~3年前には組合でそういう “出会い系” イベントが催されまして応募したのですが、 “門前払い” でした。今回も前述の競争率の激しさから、 “門前払い” になりそうな気がします。
 
 
 

第245回

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第245回放送 (1982年10月21日)
第1位:すみれ September Love/一風堂 
第2位:待つわ/あみん 
第3位:ホレたぜ!乾杯/近藤真彦 
第4位:少女A/中森明菜 
第5位:6番目のユ・ウ・ウ・ツ/沢田研二 
第6位:けんかをやめて/河合奈保子 
第7位:ダンスはうまく踊れない/高樹澪 
第8位:約束/渡辺徹 初
第9位:横恋慕/中島みゆき 
第10位:ひとり街角/小泉今日子 初
 
スポットライト:研ナオコ 「夏をあきらめて」
初登場から3週で1位までジャンプアップした一風堂。ただ、この一風堂も実力のあるバンドだったと思いますが、前回も申したように、あまり印象が無く、事実、その後はヒット曲に恵まれていません。21世紀の今、 「一風堂」 といえばラーメン屋が真っ先にイメージとして湧いてしまうという淋しい現実。一番の “売れ筋” だった土屋昌巳さんは何処に行ってしまったのでしょう・・?
マッチも大躍進ですね。でもまぁ、マッチの場合はある程度予期は出来ますけどね。
さて、初登場は2曲ですが、先ずは、10位の小泉今日子からいきましょうか。
キョンキョンは、1982年のデビューでいわゆる 「花の82年組」 の中の一人で、この年の5月に 三田寛子と共に 「スポットライト」 に登場しました。その時はデビュー曲である 「私の16才」 を歌ったわけですが、この 「ひとり街角」 は、3曲目のシングルになります。中森明菜と共に本領を発揮していくのはこれからの話になります。
 
もう1曲の初登場は渡辺徹。
渡辺徹は1981年に 「太陽にほえろ!」 のラガー刑事役でデビューしたのは有名な話ですが、それまで重厚な人間ドラマとして制作されてきた 「太陽にほえろ!」 が 「金八先生」 や 「ワールドプロレス」 の後塵を拝するようになり (特に、 「ワールドプロレス」 では、タイガーマスクのデビューや長州力の維新軍団の活躍が功を奏し、 「太陽にほえろ!」 の視聴率がさらに低下の一途を辿ったのは事実) 、視聴率回復のテコ入れとしてまず、神田正輝 (ドック刑事) を起用してコミカル路線に転じ、次いで当時、文学座の研究生だった渡辺徹を起用したという逸話があります。 「太陽にほえろ!」 における若手刑事のコンビといえば、テキサス刑事 (勝野洋) とボン刑事 (宮内淳) がその嚆矢になりますが、 “漫才的な掛け合いを前面に押し出した” となると、ボンとロッキー (木之元亮) が始まりと言えます。ドックとラガーのコンビはその発展型となり、後にジプシー刑事 (三田村邦彦) が加入して 「ミワカントリオ」 を結成するに至り、 「太陽にほえろ!」 の後半を支えることになります。
「太陽にほえろ!」 における渡辺徹の採用については、最初から “アイドル” として育てることを念頭に置いていたようで、積極的にCMにも出演させました。覚えていらっしゃる方も多いかと思いますが、グリコの 「ポッキー」 のCMでキョンキョンと共演していましたよね。あれも 「太陽にほえろ!」 のスタッフの意図によるもの。因みにグリコは 「太陽にほえろ!」 のスポンサーでもありました。このCMの中で歌われた 「約束」 が大ヒット御礼となり、テレビ局の枠を越えて、TBSに初登場となるのです。それまでは、 「太陽にほえろ!」 に出演している俳優さんは、基本的には他局の番組には出演させない方針だったのですが (石原裕次郎は別) 、渡辺徹の登場とともにその不文律が崩壊。 「ザ・ベストテン」 を始めとして、 「夜のヒットスタジオ (フジテレビ) 」 などにも積極的に出演していました。
 
「スポットライト」 は、久々登場の研ナオコ。
「ザ・ベストテン」 黎明期の1978年、 「窓ガラス」 で出演経験がありますが、それ以来ということになります。これも有名な話ですが、 「窓ガラス」 のバック演奏を担当していたのは、下積み時代のTHE ALFEE。当時のアルフィーはレコード会社に所属しておらず、ライブハウスでの活動を主にしていたバンドで、その合間に研ナオコや由紀さおりなどのバック演奏を務めていました。
さて、この 「夏をあきらめて」 ですが、研ナオコとしては久々のヒット曲になりますが、作詞・作曲は桑田佳祐。それまで中島みゆき作品を歌うイメージが強かったのですが、桑田作品を歌うことによって新境地を開拓しました。なお、 「夏をあきらめて」 ですが、先に出たのはサザンのバージョン。研ナオコのバージョンはカヴァーということになります。
 
 

今日の1枚・328

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事業者名:東京都交通局(東京)

仕様・用途:一般路線仕様

登録番号:足立200 か 2906

局番:S-Z500号車

配置:深川営業所

初年度登録:2014年式

シャシーメーカー:日野自動車

エンジン型式:日野J08E-1M型

ボディ架装:ジェイ・バス小松

車両型式:LNG-HU8JLGP改

車名:日野ブルーリボンハイブリッド

撮影日:2014年8月13日(水曜日)

撮影場所:新木場駅

日野自動車が “次世代” と位置付けて開発している新型ハイブリッドバスを東京都交通局に2台納入し、4月下旬から営業運転を兼ねて実証試験を行っています。
見た目こそ、従来のブルーリボンハイブリッドと変わりありませんが、モーターの駆動範囲を従来型よりも広げて、燃費向上を図っているのが特徴なんだとか。発進時にはモーター駆動のみで車を動かし、運転環境にかかわらず最適なエネルギー回生と燃費改善を図るのが目的で、トランスミッションには日野が独自で開発したAMT (自動変速~日野プロシフト) を採用しています。

でも、燃費を気にするのはバス会社と運転手だけで、乗客はそういうのにはあまり興味を示さないのが現状なんじゃないでしょうか。燃費も大事だけど、目的地まで通常のダイヤに限りなく誤差のない運行、つまり “定時運行” に如何に遵守するかが路線バスの宿命であります。燃費は良いけど、年がら年中渋滞にハマって定時運行が確保出来ないんじゃあ、いくら環境に優しいバスを導入したって意味がありませんからね。

今回、都営バスに2台、東急バスに1台導入されて、メーカーが実運行に際してのデータ取りが目的なのだとか。約1年間のみの試験運行なので、撮影はお早めに・・といったところでしょうか。
前述のように、ボディデザインは従来型と変わりありませんが、外観上の特徴は屋根上に配されたバッテリー。 “次世代型” はバッテリーの “蓋” が低くなっています。それから外観上で目を引くのがアルミホイール。都バスの一般路線仕様では今回、アルミホイールの採用は初めて・・ではなく、10年前にやはり1年間だけ実証試験運行が行われた 「燃料電池バス (日野自動車とトヨタ自動車の共同開発) 」 にアルミホイールが採用されていました。まぁ、アルミは軽量化も兼ねられますので、 「軽量化=燃費向上」 という図式も成り立つことから、全車導入といきたいところなんでしょうけど、如何せん、コストが・・・。絶対数の少ない貸切バスには良いかもしれませんが、路線バス全体となるとコストもバカにならないので、スチールホイールが一般的になってしまいます。ホイール1個あたりの価格がもう少し落ちれば、導入に際しての光明が見えてくるかもしれませんけどね。

今までこういう 「試験バス」 にお目にかかったことはなく、もちろん、撮ったこともありません。ただ、今回は何故か撮ってみたいと思いました。1年間という限定運行だから早く撮らねば・・と、休暇の度に深川地域 (あまり出没したくないエリアですが・・) に繰り出して、この次世代ハイブリッドバスを待っていました。
「バスラマインターナショナル」 誌によりますと、基本的には 「門19」 系統の門前仲町-東京ビックサイト間の便に充当されるらしく、 「門19」 のルートを走りながら、このバスとすれ違うのを待っていましたが、なかなか姿を見せてくれない。一度、ビックサイトにある都バスの操車係氏に配車状況を聞いたところ、 「日曜とか祝日の日はあまり出ないんだよね。今も2台とも車庫にいるから」 という返答をいただいたことがあります。
今回も、まず門前仲町からビックサイトまでバイクで走り、次いで深川営業所に立ち寄り、ビックサイトに立ち寄ったものの姿を現してくれませんでした。諦めて帰宅しようとしたら、東陽町駅でついにお目にかかることが出来ました。充当系統は 「木11」 。なぁ~んだ、 「門19」 じゃないじゃんかぁ~っ!! JRバス関東の 「青いつばめ」 と 「赤いきつね」 の時もそうだったように、結局はオールマイティに充当されるんですよね。デビュー当初はそうだったのかもしれませんが、全幅の信頼を置いている 「バスラマ」 でももちょっとな・・・と怪訝になる瞬間でもあります。

ようやく撮ることが出来た 「試験バス」 ですが、出来としては些か不満の残る画像ですので、またチャンスがあれば狙い、出来が良ければ、差し替えたいと思います。東急バスも撮れれば撮りたいですね。ただ、目黒営業所に1台しか導入されていないので、実車を目の当たりにするのは極めて難しいのかなと思います。

【参考文献】
バスラマインターナショナル No.144
年鑑バスラマ 2013~2014
(いずれもぽると出版社 刊)
バス・グラフィックスペシャル 「丸々一冊 都営バスの本」 (ネコ・パブリッシング社 刊)
ウィキペディア (日野・ブルーリボン)

見比べてみると・・・

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JTBパブリッシング社から発行されている 「キャンブックス」 シリーズは、弊愚ブログの 「嗚呼・・国鉄時代」 などの参考文献として使わせていただいている有り難い資料なんですが、このシリーズに 「111・113系物語」 というのがあります。この中で興味深い記事がありましたので、引用させていただきたいと思います。同書をお持ちの方は94ページ 「113系1000’番台と1500番台の空気笛取付位置」です。
クハ111の空気笛 (タイフォン) は、1000’番台が下部に、1500番台は他のグループ同様、上部に設けられている。
(中略)
クハ111形1000’番台は従来の空気笛取り付け位置にATC関連機器 (直列抵抗器) が設けられ、空気笛が下部に移設されていることが判る。
その後誕生したグループは本文に記したように、設計標準化の意味で空気笛は上部に移設され、0’番台 (増備された新製冷房車) はクハ115形300番台同様、上部に設けられているのが判る (勿論、このグループには直列抵抗器はない) 。2000、2700番台の機器類も0’番台と同様なのに対し、1500番台は直列抵抗器を1000’番台に比較して低い位置に取り付け、空気笛が上部に設けられている。
一部の文献では、1500番台の前灯・空気笛は2000番台と比較して高い位置に取り付けられていたと記されている。残された写真を見ると、確かにそのように見えなくもないし、ぎ装上の都合で前灯・空気笛取り付け位置を高い位置に取り付けて製作された (あるいは改造された) かもしれないが、2000番台と1500番台の形式図では、前灯は同一位置に記載されている。筆者としては、形式図を優先するとの考えのもとに、1500番台の前灯取り付け位置は2000番台と同一のレール面上2100mmとしておきたい。
この文面からでもお解りかと思いますが、この著者氏は 「113系1500番台と2000番台の前灯・空気笛取り付け位置は同一である」 という認識を示しています。
 
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では、実際に実物写真を見て比較してみましょう。画像上が1500番台で、画像下が2000番台もしくは0’番台です。一目瞭然じゃないでしょうか。例えば、1500番台の場合は、運転台窓下にある手すりギリギリにヘッドライトとタイフォンが設置されているのに対し、0’番台もしくは2000番台はその手すりより些か離れた位置に取り付けられています。さらに、貫通扉の取っ手で比較すると、0’番台もしくは2000番台が若干段違いになって取り付けられているのに対し、1500番台はほぼ水平に取り付けられています。クハ111の貫通扉の取っ手はどの番台でも同一位置でしょうから、これだけでも違いがはっきりとしています。これでも、 「レール面2100mm」 という説になるのでしょうか。私に言わせれば、 「遠山の金さん」 の桜吹雪じゃありませんが、 「これでもまだ、1500番台と2000番台 (もしくは0’番台) と同じだと言い張るのかいっ!?」 という気持ちです。
 
著者氏は 「形式図優先」 としていますが、一般論からすれば、 「実物優先」 なのでは? と考えます。
私もクハ111形1500番台の形式図を拝見しましたけど、実物と比較しても、形式図の方が明らかにおかしいんです。1500番台と2000番台は先頭車を除けば基本的には一緒ですから、その形式図って、2000番台のを流用したものではないんですか?
あるいは設計段階では、レール面2100mmとする予定だったのが、ATC関連機器の関係で、 「あっ!忘れた」 的に、製造の段階で前灯とタイフォンの位置を高くしたと考えるのはどうでしょう?
また、著者氏は 「ぎ装上の都合で前灯・空気笛取り付け位置を高い位置に取り付けて製作された (あるいは改造された) ・・・」 と記していますが、クハ111形1500番台は新製当初からヘッドライトとタイフォンの位置はあのままですよ。因みに同時期にリリースされたNゲージの113系1500番台が形式図通りに模型化されたのは何とも言えず、皮肉な話ですけどね。
 
私は何故か、113系1500番台が殊の外、お気に入りで、大量にある1000番台の中に時折、お目にかかるクハ111の1500番台を見ると、無性に喜んだという記憶があります。Nゲージでも長年、ヘッドライトとタイフォンの位置が実車と異なっていただけに、何年か前にリリースされたトミックスのリニューアル製品でようやくクハ111のヘッドライトとタイフォンの取り付け位置 (意匠) が実物に沿った形となって喜びました。
 
もう一度、敢えて申しますれば、
クハ111形1500番台の前灯・空気笛取り付け位置はと2000番台 (0’番台) と比べても、明らか高い位置に取り付けられている。
と断言して差し支えないと考えます。
 

その場で謝っていれば、取り返しの付かないことにならなかったかもしれないのに・・ の巻

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8月13日 (水曜日) 晴れ
 
今日から本格的にお盆休みに入りましたね。ニュースで軒並み大渋滞の高速道路を映していましたが、重ね重ねハードスケジュールであったにせよ、 「良い時期に墓参りが出来て良かった・・」 と心底思いますね。
 
さて、栃木県で痛ましい事件が発生しましたね。
 
① コンビニで19歳の少女が運転する車が別の車にぶつかった。
② 立ち去ろうとする車にぶつけられた方の運転手が 「ちょっと待てよ」 とばかりに、ぶつけた
  車に近寄った。
③ ぶつけた車がそのまま急発進したが、ぶつけられた方の運転手はしがみついて離れなかった。
④ そのまま200~300mほど引きずった格好になり、しがみついていたぶつけられた
  運転手は振り落とされ、頭を強く打って亡くなった。
⑤ ぶつけた車は、そのまま逃走したが、程なく逮捕された。
 
というのが、この事件の大まかな展開ですが、パクられた19歳の少女は 「酒を飲んでいて、バレるのが怖くなって逃げた」と供述しているようですが、言い訳になりませんよね。
この手の事件は時折、ニュースや新聞等で散見しますが、私的には、
 
① ぶつけた時に、 「すいません」 と謝っちゃえば、修理費とかは払うかもしれないけど、
  その場で終わってたかもしれない。
② 飲酒運転がバレたとしても、免許取り消しや罰金を払うことにはなるかもしれないけど、
  それで終わっていたかもしれない。
 
と考えます。ぶつけて逃げようとして、人を殺して、さらに逃げたら、もうその段階で “人生終わり” ですよね。だったら、修理費を払って免許取り消しになった方がよっぽどマシなんじゃないでしょうか。だって、修理費だって、傷の度合いにもよりますが、1億や2億にはならないだろうし、免許取り消しだって、数年経てばまた取得出来るチャンスだってあるわけじゃないですか。でも人一人殺したら、金で解決出来る問題ではなくなります。冷静になってどっちが良いかって考えた時、素直に謝っちゃえば良いのにって思うのは私だけでしょうか?
 
私自身にも、いつ何時、そのような事態が起きるやもしれません。もしかしたら、 「怖くなって・・」 と理由を並べ立てて逃げちゃうかもしれないし、でも、万が一、そのような事態になったら、逃げずに 「やっちゃったものは仕方がない」 とばかりに、きちんと償いたいです。ただ、本当にそうなっちゃった時に、人間は冷静でいられるでしょうか? 車やバイクを運転する者にとって、避けては通れない問題です。

“ウィラーショッカー” に占領された “秘密基地”

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ここんところ、とんとご無沙汰だった江戸川区某所にある “秘密基地”  、俗称 「第1サティアン」 。
久々に訪れてみたら、白とピンクに汚染されているじゃありませんか。 「高速バス業界の “ショッカー” 」 と呼ばれている秘密結社ウィラー・エクスプレス。世間的には 「時代の寵児」 と言われているようですが、私に言わせれば、 「ただのツアーバス上がり」 。
ある大手私鉄系バス会社のウテシ氏の言葉を借りると、 「あの会社は “ヴァンパイア” だよ。目をつけた会社の血を吸うだけ吸い取って、吸いきったら 「ポイッ!」 だよ。優良企業を謳っているけど、実態は結構阿漕なことをやっているみたいだけどね。いつかブラック企業のレッテルを貼られるんじゃないの?」 なのだそうですが、今の日本の企業社会においては、ウィラーに限らず、何処もそうだと思いますけどね。
 
よく 「一度、ツアーバスに乗ってみると良いよ。悪いことばかりじゃないぜ」 と言われます。でも、乗らないよぉ~だ。そういえば、ツアーバスも 「路線バス」 になったんですよね。
 
昨年、高速ツアーバスは路線バスに移行しましたが、なぁ~んか、やってることはツアーバス時代と変わっていないような気がします。失礼ながら “○○正直” にコンプライアンスを重視して、法や規制などを守っている事業者はほんの一握り。酷いのになると、紙か何かで 「路線 (あるいは乗合) 」 という表示をバスに貼っているだけの業者もあったりします。不思議なもので、 「路線 (あるいは乗合) 」 の表示は効果があるみたいで、バスのことはあまり詳しくない利用者は信じ切ってしまう。
それから、画像のように整備機能を持たない留置施設で、ただ単に停めているだけというのも前と変わっていません。確かに今の時代のバスはしっかりした造りだから、そんじょそこらじゃトラブることは無いのかと思いますが、それでもバスの事業者は 「万が一」 の事態に備えて、運行前点検や整備を実施しているわけで、こういう状態で、もし運行前点検の時に不具合が生じたら、どうやって対処するのでしょうか? 「まぁ、いいか」 でそのまま走らせて、事故ったら誰が責任を取るのでしょうか? そういう理由から、私はツアーバス上がりの路線バスは利用しないようにしています。既存の高速路線バスを運行している事業者だって、絶対に事故らないという保障は何処にもないのですが、ツアーバス上がりの路線バスは、その倍以上、不安が過ぎります。ましてや新参者はね。

第246回

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第246回放送 (1982年10月28日)
第1位:ホレたぜ!乾杯/近藤真彦 
第2位:すみれ September Love/一風堂 
第3位:少女A/中森明菜 
第4位:待つわ/あみん 
第5位:6番目のユ・ウ・ウ・ツ/沢田研二 
第6位:約束/渡辺徹 
第7位:誘惑スレスレ/田原俊彦 初
第8位:けんかをやめて/河合奈保子 
第9位:横恋慕/中島みゆき 
第10位:ダンスはうまく踊れない/高樹澪 
 
スポットライト:ヒロシ&キーボー 「3年目の浮気」
一風堂は 「三日天下」 ならぬ 「一週間天下」 でマッチに1位を明け渡してしまいました。やはりそこは “地盤の強さ” といったところでしょうか。そして、中森明菜がようやく3位まで上昇してきました。私の中では、 「少女A」 はいきなりドンッ! と上位に食い込んでいたイメージがあったのですが、こうやってランキングを記録していくと、イメージとは裏腹にジワジワと上がってきていたんですね。
田原俊彦の新曲 (誘惑スレスレ) は、どんな曲だったっけ・・・?
1982年最後の 「スポットライト」 は、ヒロシ&キーボー。
この二人も “一発屋” といえば一発屋なんですが、その “一発” がもの凄い強烈なインパクトを残したので、今も語り継がれているのかと思います。
“ヒロシ” は俳優・黒沢年男の実弟で、当時、寺内タケシ率いるバンドのヴォーカルとギターを担当していた黒沢博 (現、くろさわ博) で、 “キーボー” はオーディションで決まった山田喜代子。この 「3年目の浮気」 を制作するにあたって、キーボーの相手役にはヒロシの実兄である黒沢年男を予定していたのですが、当時の黒沢年男はいわゆる 「ニヒル」 キャラ。それを歌によって崩すのは・・と断られて、実弟に決まったといエピソードがあります。
皆さんの中にもカラオケで 「3年目の浮気」 をデュエットで歌ったという記憶をお持ちの方、少なくないのではないかと思います。
 

嗚呼・・国鉄時代 (193)

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ED75の1000番台重連が牽引する10000系高速貨物列車です。
ついこないだまで、ED75の天下だと思っていた東北本線も、今やEH500に席巻されて完全に脇役になった・・というか、2年前に運用から撤退したらしく、このような迫力ある姿を見ることはもう出来ないとのこと。
 
ED75の1000番台は、まさに10000系貨車と20系客車を牽くために生まれた機関車です。
昭和43年10月のダイヤ改正で、優等列車のスピードアップが実現し、上野-青森間を運行する 「ゆうづる」 も100km/h運転を開始しました。ここで問題になってくるのがブレーキ。スピードアップを機に、20系客車のブレーキシステムを従来のAS方式からAREB方式に改良されたわけですが (AREB方式を説明すると、紙面がいくらあっても足りないのでここでは割愛します) 、このシステム導入に伴って、そのシステムを制御する専用の機関車が必要不可欠となり、20系客車や10000系貨車が標準装備する電磁ブレーキを操作するため、電磁ブレーキ指令回路と応速度ブレーキ増圧装置を追加したのが1000番台となります。因みにED75には20系客車牽引に必要な元空気溜め引き通し管は最初から標準装備となっています。
 
ED75 1000番台は、 「ゆうづる」 「あけぼの」 「北星」 といった東北本線寝台特急と10000系で組成された高速貨物Aに限定使用されました。10000系貨車は、国鉄の貨車の中でもエリート中のエリートで、コキ10000、コキフ10000、レサ10000、ワキ10000などがあります。エアサス台車TR203を履き、空気管付き密着自動連結器を装備。牽引する機関車はEF66、EF65F、ED75Pなど限定されました。
ED75 1000番台は昭和43~51年の間に39両製造されて、前期形と後期形があります。
1001~1025までが 「前期形」 、1026~1039が 「後期形」 という分類になります。
外見上の識別点は、通風口の有無 (前期形が有、後期形が無) 、標識灯の違い (前期形が内嵌め式、後期形が外嵌め式) 、ナンバープレートの違い (前期形が切り抜き文字、後期形がブロック式) などがあります。
 
昭和51年、客車で運用されていた 「ゆうづる」 が24系化されたことによって、1000番台限定運用は解消されましたが、まだ 「北星」 「あけぼの」 があります。しかし、昭和53年10月のダイヤ改正で 「北星」 が14系化され、さらに昭和55年10月の改正では 「あけぼの」 が24系化されまして、ここにP形限定運用は完全に解消されました。一方、10000系高速貨物は、特殊装備を多く持つため、車両製造費が嵩むことから、僅か3年で製造は終了され、コンテナ車についてはよりフレキシブルな運用に対応出来るコキ50000が登場し、徐々に勢力を拡大していきます。
コキ10000はJRにも継承されましたが、その数は少なく、さらにコキ100系などの次世代貨車が登場すると、その活躍場所は無くなり、平成8年に全廃・形式消滅します。なお、コキ10000の一部は、ブレーキ改造を施してコキ50000に編入されたのもありました。
 
画像は昭和58年撮影と言いますから、10000系貨車の本来の目的からすれば晩年を迎えていることになります。それでもコキフを両端につないだ長編成の列車は、まさに “次世代貨車” の名に恥じない姿で、この翌年には基本的に貨物列車はいわゆる 「直行系輸送方式」 に移行し、コンテナ輸送がメインになります。国鉄におけるコンテナ輸送は昭和34年に始まりますが、高速大量輸送という概念で言えば、やはり10000系の存在無くしては語れないでしょう。
 
ED75 1000番台で忘れられない車両があります。
私も撮ることが出来ましたが、平成23年3月の東日本大震災の犠牲に遭った1039号機。様々な理由で解体の憂き目に遭ってしまいましたが、何とか知恵を絞って保存の道筋を立てて欲しかったなと今でも思います。
 
【画像提供】
岩堀春夫先生
【参考文献】
名列車列伝シリーズ 「寝台特急北斗星&カシオペア+ブルトレ客車 part.2」 (イカロス出版社 刊)
ウィキペディア (国鉄ED75形電気機関車、国鉄10000系貨車)
 

お盆終盤 の巻

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8月16日 (土曜日) 曇り一時雨
 
お盆休みも明日で終わり、という方も少なくないかと思いますが、さすがに仕事は楽で、私も2時間ほど早退しました。明日は休みぃ~っ! と言いたいところですが、ビックサイトに行きます。とある大イベントに駆り出されることになっています。
それが終わり、3日ほど頑張れば、待望の 「真子ライブ&ついでの鉄旅」 となります。

「コミケ」 に行って来ました の巻

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8月17日 (日曜日) 曇りのち晴れ
 
お盆休みも今日が最終日。おそらく、ニッポンのお父さん・お母さんはさぞかしくたくたでしょうね。でも、情け容赦なく明日は仕事だと思います。ニッポンのお父さん・お母さん、本当にご苦労様です。
 
さて、私は今日、有明の東京ビックサイトで開催されている 「コミックマーケット」 に参加しました。
「コミケ」 への参加は、おそらく死ぬまで無いだろうと思っていたのですが、まぁ、 “スタッフ” としての参加ですから、やむを得ません。そう、別に会場で販売されている同人誌等を買いに出掛けたのではありません。
調べてみたら、 「コミケ」 の歴史は結構古く、その前身となる同人誌を扱うグループの集まりは1960年代からあったそうなんですね。今のコミケの基盤となる 「第1回コミックマーケット」 は、1975年に開催されて、この時は参加団体32、参加者数700名というものでしたが、昨年夏に行われた 「CM 84」 は、参加団体3万5千、参加者数59万人に膨れ上がり、第1回からベースですと、参加団体で1100倍、参加者数で約850倍という、大規模なイベントにまで成長しました。
 
前述のように、 「コミケ」 への参加は裏方としての参加になりますが、この異次元の人類とどう相対するかが当面の課題になりましたが、特に問題は起こることなく、平穏無事に終わりました。
鉄道系のイベントもそうなんですが、コミケもまた、異次元の人類が引き起こすトラブル等が度々テレビでも報じられて、時折、社会問題になることもあります。最近では 「黒子のバスケ」 脅迫事件でしょうか。全部が全部でないのですが、やはりちょっと近寄ってはいけない人々が彼方此方に出没していました。そういう意味で言うと、 「コミケ」 の参加者と鉄道系のイベント参加者は似たり寄ったりの傾向がありますね。
 
それにしても、有明は遠い・・。
車やバイクで行く分には近いのですが、これが葛西からバスや電車でとなると、逆。
ルートとしては
 
① 西葛西- (東西線) -門前仲町- (都バス) -東京ビックサイト
② 西葛西- (都バス) -葛西臨海公園- (京葉線) -新木場- (りんかい線) -国際展示場
③ 西葛西- (東西線) -日本橋- (銀座線か浅草線) -新橋- (ゆりかもめ) -国際展示場前
④ 西葛西- (東西線) -門前仲町- (都バス) -豊洲- (ゆりかもめ) -国際展示場前
 
など様々な行き方がありますが、当初は葛西駅まで出て、都バスで臨海公園駅まで向かい、京葉線とりんかい線を使うリートを選択しようと予定していました。ウチの場合まず、臨海公園まで出ることを視野に入れなければいけません。船堀街道まで出れば、臨海22という系統があって、そのバスが葛西臨海公園まで連れてってくれますが、厳密に言えば臨海車庫行きだし、臨海車庫から臨海公園駅まで歩かなければならないし、私が出発する時間はその臨海22は走っていないし・・ということで、この案は即却下。
まぁ、今回はお盆休み最終日ということで、環七通りは混むだろうなと予想し、早めに行動しようと考えました。さらに最悪な事態を想定して、遠回りルート (西葛西-西船橋-新木場-国際展示場) も視野に入れて西葛西に向かいましたが、西葛西駅で運良く臨海公園駅行きのバスが待っていたので、それに乗りました。そうしたら、環七は全然混んでなく、千葉方面のR357や首都高もスイスイ流れていました。拍子抜け。それこそ冒頭の口上じゃありませんが、ニッポンのお父さんとお母さんはクタクタで、家でゴロゴロしているのかなって。
いずれにしても、葛西から有明に向かうのは一発じゃ行けませんから。やはり 「遠い・・」 としか思えません。
 
コミケは 「夏コミ」 と 「冬コミ」 の2回開催されるようですが、ぶっちゃけ、もういいよ。
 
 
 
 

いよいよ・・・

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いよいよ、21日から真子さんのライブ 「SingAct live Summer ~やわらかな幸せ~」が始まります。今から待ち遠しいのは言うまでもありませんが、心配なのは天気。先週来から関西地方を中心にバケツをひっくり返したかのような凄まじい雨が降っています。思い出すのは昨年9月、神戸公演において思いっきりゲリラ豪雨に見舞われ、公演が危うく中止になるか否かの瀬戸際だったこと。今回はそうならないように願うばかりでありますが、とにもかくにも4公演が全て、満員御礼で大いに盛り上がることを祈念します。

「死に損ないっ!」 と罵倒した修学旅行生に是非とも行かせたい場所がある・・ の巻

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8月18日 (月曜日) 晴れ
 
お盆休みも終わり、いつもの “平日” に戻りました。
その一方で、街の彼方此方にセミの死骸が散乱し始め、夏の終わりを感じさせる光景になっています。
 
“死” といえば、今年でしたか、長崎で原爆被爆者の語り部の方に向かって何処ぞの修学旅行のガキどもが 「この死に損ないっ!」 と罵倒した事件がありましたね。
こいつらに是非とも行っていただきたい場所があります。それは
ウクライナ
イスラエルのガザ
シリア
実際に、こういう場所に行って、人間同士が血を流し合うことがどんなに愚かなことなのか、体感していただきたいです。そうしたら、口が裂けても 「死に損ない」 とは言えないはず。
 
高校だか中学だか、来年の修学旅行は、この3国に行って “体験学習” をさせて下さい。

今日の1枚・329

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事業者名:越後交通(新潟)

仕様・用途:都市間長距離高速路線仕様(関越高速バスに充当)

登録番号:新潟230 あ ・・98

シャシーメーカー:日産ディーゼル工業

エンジン型式:日産ディーゼルRH8F型

ボディ架装:富士重工伊勢崎

ボディ型式:富士重21型S

車両型式:KL-RA552RBN

車名:日産ディーゼルスペースウィング

撮影日:2009年10月31日(土曜日)

撮影場所:池袋・サンシャインシティ

画像は再掲になります。
気のせいかもしれませんが、個人的にはここ最近、富士重の1Sボディを架装したスペースウィングにお目にかかっていません。ハイデッカーボディの1M (21型M) や一世代前の17型ボディ (7M、7S) はたまに姿を見ることがあるんですが、1Sはなかなか姿を現してくれません。そんなわけで、今回の 「今日の1枚」 は1Sを架装したスペースウィングを取り上げたいと思います。そういえば、1Sのスペースウィングも殆ど撮ってないな・・・。

1985年に運行を開始した関越高速バスは、西武バス、新潟交通、越後交通の3社でスタートしましたが、車両については3社共通仕様のスペースウィング (P-DA67UE) を採用しました。以来、連綿と日産ディーゼル車を採用し続けていますが、日産ディーゼル (→UDトラックス) のバス事業撤退後は、三菱とか日野とかを導入しているのでしょうけど、その際にはスーパーハイデッカーからハイデッカーへの “降格” も実施されたのでしょう。池袋にもあまり行かなくなってしまったせいか、池袋で高速バスを見る機会が殆ど無い昨今、関越高速バスがどのような車を使っているのかが判りません。

この関越高速バスの先入観から、越後交通も新潟交通も日産ディーゼルしか導入していない事業者だと思い込んでいました。その先入観が崩れたのは大学に入ってから。まず、大阪-新潟間の夜行高速路線バス 「おけさ号」で、新潟交通がスーパーエアロを採用したことに当時の私は度肝を抜かれました。次いで1989年の夏、大学のゼミ合宿の帰り道、大豪雨の東北自動車道の浦和料金所で越後交通のエアロキングを目撃した時に思いっきり驚愕しました。さらに翌年、東京ディズニーランドで新潟交通のエアロバスを撮り、感涙に咽せました。それから新潟交通は普通に三菱車を見るようになりましたが、越後交通は何故か日野ばかり。一応、三菱もあるにはあるようですが、あまりお目にかかりませんね。

路線車は比較的多岐に渡っているようですが、やっぱり一番最初の先入観というのは恐ろしいものですね。
富士重工がバスボディ製造から撤退して10年以上が経過し、最終期落成車にも翳りが見え始めています。地方へ行けばまだまだ元気な姿を見ることが出来るかもしれませんが、都市部は目まぐるしく車両の更改が行われています。路線にしても貸切にしても、そして高速路線 (ツアーバスは除く) にしても、近い将来、本当に富士重工架装車が見られなくなる日が訪れるかもしれませんね。

もう一回くらい、撮りに行くか・・・。

第247回

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第247回放送 (1982年11月4日)
第1位:ホレたぜ!乾杯/近藤真彦 ②
第2位:すみれ September Love/一風堂 
第3位:誘惑スレスレ/田原俊彦 
第4位:約束/渡辺徹 
第5位:少女A/中森明菜 
第6位:6番目のユ・ウ・ウ・ツ/沢田研二 
第7位:待つわ/あみん 
第8位:野ばらのエチュード/松田聖子 初
第9位:夏をあきらめて/研ナオコ 初
第10位:花梨/柏原芳恵 初
1982年も11月に入り、そろそろ紅白の出場歌手やレコード大賞各賞の行方などが気になる季節になりました。 「ザ・ベストテン」 の年間ベストテンも然りで、何だかんだ言いつつもやはり 「ザ・ベストテン」 にランキングされるということは、それなりにヒットしているからの証しなわけでして、歌手それぞれが研鑽を積んでいたのです。
さて、マッチの強さは変わらずですが、その一方でトシちゃんが前回7位で初登場しましたが、今回一気に4ランクアップさせてベスト3入り。ちょうどこの頃、主演映画 「ジェミニ なんとかかんとか」 が封切りになって話題になりました。たのきんは何本かの主演映画がありますが、だいたいマッチかトシちゃんが主演で、ヨッちゃん (野村義男) は常に2人を立てる脇の存在。野村義男のソロデビューの機会はなかなか与えられず、主演映画もない。当時のヨッちゃんの立ち位置が解ろうもの。でもね、再三申しているように、彼には技 (ギター) がありましたので、しかも後年、この技が方々で生かされることになります。本人もその立ち位置が解っていたようで、今もその技で生き残れているのだから、それはそれで称賛されねばなりません。
 
今回は初登場ラッシュで、8位から10位まで初登場曲が目白押しです。
松田聖子の 「野ばらのエチュード」 ですが、よく 「野ばらの越中道 (エッチュウドウ) 」 と言っていました。
前々回の 「スポットライト」 で注目された研ナオコの 「夏をあきらめて」 が満を持してベストテン入りを果たしました。良い歌だと思います。
そして柏原芳恵の新曲ですが、この 「花梨」 から芸名を平仮名明記の “よしえ” から 漢字表記の “芳恵” に改めました。思い出すのは、初登場ですと、歌詞の字幕スーパーが入るんですが (今は至極普通ですが、当時は歌詞の字幕スーパーが入る番組はあまり無かった) 、その時の字幕は柏原芳恵本人の直筆によるもの。 「上手い」 と評判だったらしいですが (確かに) 、柏原芳恵は小学生時代だったか中学生時代だったかに、書道教室に通っていたらしいですね。上手いのも納得かも。 
 

麺プレッション583~築地家

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それは、1~2ヶ月くらい前のことでしたか。
晴海通りを銀座から晴海埠頭方面に向かって走っていた時、築地の魚河岸の前に差しかかって家系の店を発見しました。築地で家系といえば、勝鬨橋の辺にある 「とんこつ大学 (もちろん、家系 “もどき” ) 」 が真っ先に思い浮かぶのですが、その 「魚河岸の前で見つけた家系」 は、少しだけまともかも。そう思って、いつかは行ってみようと思っていました。そして今日、用事があって銀座に行き、終わって帰宅する時に寄ってみました。
さて、今日は何処に行ったのでしょう・・・。
行った店・・・・・・横浜家系ラーメン 築地家
場所・・・・・・・・・中央区築地3丁目 (晴海通り沿い~築地市場の真向かい)
食ったもの・・・・ 醤油豚骨ラーメンSP
          ご飯を付けて ¥890-
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スープ・・・S◎
「中央卸売市場築地市場の真向かい」 というよりも、築地本願寺が裏にある・・と思っていただければ良いのかなと思います。晴海通りと新大橋通りの交差点付近にこの 「築地家」 はあります。
築地市場と言えば、テレビの取材が絶えない 「食の大激戦地」 なわけですが、そんな激戦地に敢えて家系ラーメンの店を出そうという気になった店主氏の男気に拍手を送りたいですね。もっとも、築地市場は魚河岸。どちらかと言えば寿司を中心とした魚系のお店が多いため、魚に飽きた人が別のカテゴリーを求めてラーメン屋にふらっと入るかもしれない・・なんていう思惑もあったのかもしれません。事実、お昼時になると、地元のサラリーマンが軒並み暖簾を潜っていましたので、それなりの評価を持った店なのかもしれません。確かにこの辺りは寿司屋が多いっ!
さて、家系ラーメンの店ではありますが、基幹の醤油豚骨の他に、塩やつけ麺、さらには家系とはかなりかけ離れている 「和風中華そば」 もラインナップされています。ラーメンにハマった頃、 “上司” に連れられて、草加の 「弁天家」 に行ったは良いけど、オーダーを間違えて中華そばを食った苦々しい記憶がありますが (中華そばじゃなくて、麺の細い家系だったかな・・?) 、今回はオーダーを間違わずにきちんと言えました。数あるメニューの中から、チャーシュー、のり、玉子が標準トッピングされている 「SP (スペシャル) 」 をオーダーしました。なお、ご飯は時間限定で無料。しかもおかわり自由。さらにセルフサービスという太っ腹サービス。家系の店でご飯のセルフサービスは初めてですね。
待つこと数分、オーダーしたラーメンが運ばれてきました。ウズラの玉子が乗っかっていないことから、今回は 「壱六家」 系の店ではないようです。

始めの一口ぃ~

うんめぇぇぇぇ~~~~~~っっっっっ!!!!!
いやぁ~、このスープはヤバい。
久々に濃厚なスープを味わうことが出来ました。
ダシとタレのバランスが絶妙ですねぇ~。
“上司” の言葉を借りれば、このスープは “当たり” ですね。
味を抑えたいという人には、付け合わせで玉ねぎが据えられていますが、これを振りかけることによって、スープが幾分中和されます。でも、この付け合わせ玉ねぎ、どっかで見たことがあるような気がするんですよねぇ~。
 
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麺・・・○
家系にしては太めの麺。どこの製麺所かは判りませんでした。
モッチリはしているんですが、お世辞にも 「固い」 とは言えませんね。
 
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チャーシュー・・・△
いわゆる “持ち上げ” をしようとしたら、ものの見事に崩れてしまいました。それだけ柔らかいということ。しかし、 「麺プレ」 の基準において、柔らかすぎるチャーシューは評価を下げます。おまけに小さいし薄いし。これではちょっと・・・。
 
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玉子・・・× 
箸で摘もうと思ったら、中から黄身がドピュッと出てしまい、そのまま画像のように崩壊してしまいました。我慢出来なかったんでしょうか・・?
白身がヤワ過ぎ、黄身が熟し過ぎ、そしてその黄身に味が無い・・となれば、もうそれは 「ひょうきん懺悔室」 の “神様 (ブッチー武者) ” じゃないけど、思いっきり 「バァ~ツッ!」 とゼスチャーしたい気分になりました。
総合評価:B3
やはり、このラーメンはスープに尽きますね。
S◎、○、△、×・・と、見事なまでに四段落ちしています。
このスープのおかげで辛うじてBランクを死守した感じがしますが、逆に言えば、スープがしっかりしていなければ、ラーメンじゃないですよ。ただの汁麺です。
 
 

明日から・・・

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8月19日 (火曜日) 晴れ
 
再び、太平洋高気圧が息を吹き返してくれました。最後の一踏ん張り、是非とも岡山、兵庫、大阪、愛知でも太平洋高気圧の底力を見せつけて下さい。
 
私は明日、出発します。
仕事をやって、それからになりますが、まずは明日の仕事を間違いなくやること、そして雨が降らないこと、真子さんのコンサートが成功裏に終了すること、特に神戸公演では昨年のリベンジをきっちりと果たして欲しいということ、私自身も無事にこの旅行を楽しむことを祈念しながら、明日からの 「真子ライブ&ついでの鉄旅」 を満喫したいと思います。
 
というわけで、来週の27日まで弊愚ブログは “夏休み” とさせていただきます。
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