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Channel: Club SKRAM ~もはねの小部屋~
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嗚呼・・国鉄時代 (150)

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前回 (No.149) では、EF65PFが牽くブルートレイン 「さくら」 を取り上げました。そして今回は、381系を使用したL特急 「くろしお」 ということで、読者の中には 「いい日旅立ち」 の歌とともに、53.10を思い出す方も少なくないのではないかと思います。
 
昭和53年10月2日のダイヤ改正の目玉に紀勢本線の和歌山-新宮間の電化というのがあります。電化完成にともなって、天王寺-新宮・白浜・名古屋間を結んでいた特急 「くろしお」 が381系による電車運転となり、同時に運転区間を天王寺-白浜・新宮間に短縮しました。非電化区間の新宮-名古屋間に関しては、発着を紀伊勝浦として、 「南紀」 と名乗って再出発しました。
昭和48年に 「しなの」 でデビューした381系は、振り子機能を遺憾なく発揮して列車のスピードアップに貢献したわけですが、53.10改正の 「くろしお」 電車化に際しても381系が投入されることが決定。電化完成の2年前に先行落成した車両を使って、乗務員の訓練を兼ねた試運転を阪和線内で繰り返し行ってきました。
 
「くろしお」 用に増備された車両は、 「しなの」 用の車両と比べて若干の変化がありましたが、最大の変更点は、先頭車クハ381が非貫通形となったこと。 「しなの」 用のクハは分割・併合を見越してか、クハ481 (200番台) やクハ183 (0番台) などのように、貫通扉が設けられていましたが、途中で分割や併合を行わない 「くろしお」 に関しては貫通扉を設ける必要が無いことから、製造の段階で非貫通形となり、番台区分されて100番台となりました。もっとも、国鉄時代においては、クハ481 (200番台) もクハ183 (0番台) も、はたまた貫通扉の先駆者 (先駆車?) でもあるクハネ581・583も貫通扉を活用することはありませんでしたけどね (国鉄末期では一部で貫通扉を活用した例があり) 。
 
先行落成した車両は53.10以前ですので、この改正で採用されたイラストヘッドマークが無く、普通に文字だけのヘッドマークを用意していましたが、電車 「くろしお」 が正式にデビューする時にはきちんとイラストヘッドマークを用意していました。それにしても、53.10改正では 「くろしお」 を含む40種の電車特急にイラストヘッドマークが採用されたわけですが、列車名こそ生き延びているけど、車両が変わってヘッドマークが使われなくなったのが大半で、今もなおその時のデザインを使い続けているのは定期列車では 「くろしお」 の他に 「北越」 と 「いなほ」 しかありません。今後、 「いなほ」 と 「北越」 に関しては、E653系を転用して徐々に置き換えるということなので、そうなると 「いなほ」 と 「北越」 のヘッドマークも見られなくなってしまいます。
 
当時、特急用車両については、貫通形車両絶対支持派だったので、クハ381の100番台に関しては敵意剥き出しで、大嫌いな車両でした。同時にクハ481の300番台や1000番台、クハ183の1000番台にクハ189も然りで、 「寄るなっ!」 的に毛嫌いしていました。
381系は振り子機能を備えていて、カーブ区間でもスピードを落とすことなく走ることが最大のアピールポイントなんですが、この振り子機能が逆に仇となって、乗り物酔いをする人が続出したとか。そのため、車掌は酔い止めの薬を常備していた、なんて言うエピソードもあったりします。私も何だかんだ言いながら、381系の 「くろしお」 には乗りましたけど、別に気分が悪くなったということは無かったですね。
 
「嫌よ嫌よも好きのうち」 じゃありませんが、381系の 「くろしお」 を見ると、電車特急がブルートレインと共に当時のちぴっ子鉄道マニアにとってのアイドルだったというのを再認識させられます。
 
【画像提供】
岩堀春夫先生
【参考文献】
ウィキペディア
国鉄監修 交通公社の時刻表 昭和53年8月号 (日本交通公社 刊)
JR時刻表 平成26年2月号 (交通新聞社 刊)
 

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