横須賀線の113系と、183系の特急 「白根」 。撮影場所は東京駅。どれを取っても言い知れぬ懐かしさが漂います。
画面奥が上野方面になります。ということは、 「白根」 はこれから上野駅に向かうところなんでしょう。実は当該の列車は 「あまぎ」 で、たまたま 「白根」 のマークを出しているだけ・・というのも考えられますが、まぁ、ここは 「白根」 としておきましょう。
撮影は昭和51年ということですが、 「白根」 は 「あまぎ」 とともに157系から183系に置き変わったばかりの初々しい姿になります。同じ183系を使っていることから、 「白根」 は新潟運転所 (新ニイ~現在のJR東日本新潟車両センター) の所轄だと思っていたんですね。田町が所管だと聞いた時には子供心に衝撃的でした。因みに、田町電車区 (南チタ~後のJR東日本田町車両センター) に新製配置された183系1000番代は10両編成を基本としており、かつての157系のように修善寺乗り入れ用の5両は組成されませんでした。そして 「白根」 に充当する時は、1ユニットとサロを外した7両編成となります。
東北・上越新幹線の工事によって、東北本線の東京-上野間は昭和48年をもって営業運転の列車は走らなくなり、尾久客車区 (北オク~現在のJR東日本尾久車両センター) や上野駅から品川客車区や田町電車区への回送列車や、東北本線や常磐線からの荷物列車などが時折走る 「回送線」 としての機能に留まり、それも昭和58年を最後に見られなくなりました。
時は経ち、今年の3月に32年ぶりに上野-東京間に列車が走ることになり (営業列車に限定すると42年ぶり) 、宇都宮線や高崎線の列車の他に、常磐線の列車も入線してきますので、かつての光景同様に、車両の賑やかさは変わらないということになりますね。
横須賀線の113系は車両の置き換えが過渡期を迎えており、一見、主力に見える1000番代後期形ですが、横須賀線を管轄してた大船電車区 (南フナ~現在のJR東日本鎌倉車両センター) には0番代の初期車や1000番代の前期形も多く配置されており、1000番代後期形はまだ新入りの域を脱していない時期とリンクします。これは数年後に控えた総武線快速との相互直通運転を視野に入れた投入で、玉突きで余剰となった0番代初期形や1000番台前期形は房総地区や他地区へと転配されていきます。当時の大船には横須賀線用の車両の他に、東海道線の車両も配置されており、年々増加する輸送量とそれに伴う車両の増備等で大船も手狭になりました。さらに前述の総武線との直通運転も睨み、昭和54年には国府津に新しい車両基地を設置して (後のJR東日本国府津車両センター) 、東海道線の車両は基本的に国府津配置となります。
気になるのはその横須賀線113系の奥に停まっている湘南色の車両。普通に考えれば、東海道線のサロ110かなと思うのですが、その次位にはスカ色の車両が連なっています。よく見ると、サロの便所窓の大きさが湘南色とスカ色で異なります。これ、もしかしてサロ112じゃないですかねぇ~? サロ112は、サロ152を113系に編入したもので、大部分は大阪の高槻電車区 (大タツ~現在のJR西日本網干総合車両所高槻派出所) に配置されて、東海道・山陽線の快速電車に連結されていたのですが、一部は静岡運転所 (静シス~現在のJR東海静岡車両区) に配置されて東海道線東京口の列車に連結されていました。
183系が行くホームのない11番線は現在、東北新幹線のホームになっている場所。回送線として使われる傍らで、ブルートレイン牽引機が 「機回し」 をする線路として、ブルートレイン小僧から注目を集めていた線でした。
【画像提供】
梅ちゃん先生様
【参考文献】
鉄道ピクトリアル No.903 (電気車研究会社 刊)
鉄道ファン No.649 (交友社 刊)
キャンブックス 「111・113系物語」 (JTBパブリッシング社 刊)
ウィキペディア (高槻電車区)