もしかしたら、この画像は再掲になるかもしれません。
今年3月のダイヤ改正で、特急 「草津」 と 「あかぎ」 の使用車両が、 「スーパーひたち」 で使用された651系電車に置き変わるそうですね。
「スーパーひたち」 運用から撤退した651系を彼方此方で留置されているのを見かけました。どうするのかなって気にはなっていたんですが、そういう展開に持っていくとは、さすがに予想だにしませんでした。
3月以降は 「草津」 と 「あかぎ」 に使用されますが ( 「あかぎ」 の一部列車は185系をそのまま使用) 、運用上の関係から、遅かれ早かれ 「水上」 にも充当するのではないかと予想しています。そして以前にもお話ししたかと思いますが、 「マリンエクスプレス踊り子」 の評判が良ければ、E259系を増備して 「踊り子」 を置き換えるのではないかと。そういう感じで185系の波動用に切り替えていくのかなと予想しています。183系や189系が相次いで廃車になっていることから、置き換えのペースは早くなるんじゃないでしょうか。
さて、画像ですが、1988年の撮影です。
“新特急” の名も懐かしい 「草津」 ですが、元々は行楽特急 「白根」 でしたよね。1971年のデビュー時は157系で、後に183系1000番台に置き変わりました。上野口の183系1000番台なので、子供の頃は 「とき」 と同じ新潟運転所 (新ニイ~現在の新潟車両センター) の受け持ちかと思ったらさにあらず、で、当時の 「あまぎ」 と同じ田町電車区 (南チタ~後の田町車両センター) の受け持ちだったとは随分後になって知りました。
上越新幹線開業に湧く1982年11月のダイヤ改正でも 「白根」 は残りましたが、1985年3月のダイヤ改正で上州方面への特急は 「新特急」 となり、その際に 「白根」 は定期列車になって 「草津」 と列車名を変えました。何か、今でも吾妻線の特急は 「白根」 で、急行は 「草津」 という図式が崩れていないんですけど・・・。
因みに 「新特急」 って何ぞや・・・? とお思いの方も多いかと思いますが、それまでの国鉄特急は指定席をメインに組成しており (自由席よりも指定席の比率が高かった) 、乗車券+特急券で乗る方式が一般的だったのに対し、この 「新特急」 は、国鉄の特急では初めて定期券で乗れる特急ということで設定された列車で、1985年3月に急行を格上げした登場した 「草津」 「あかぎ」 「なすの」 が該当します。また、特急券に関しても、急行料金と同等に設定して、停車駅も多くなったことから、実質的に急行の種別名を変えただけにすぎませんでした。使用車両の185系も急行用の165系を少しだけ豪華にしただけのホスピタリティでしたからね。そういう意味からも国鉄がどんどんと墜ちていく頃の典型的な列車といえます。
「なすの」 はその後、快速 「ラビット」 に吸収される形で殆どが姿を消し、新たに新設された 「水上」 とで上野口の昼行特急の灯を守り通しましたが、2002年に特急に一本化されて 「新特急」 の呼称は廃止されました。
そういえば、185系0番台にはデビュー当時のオリジナルカラーが復活していますが、200番台ではオリジナルカラーに塗り替えられませんでしたね。お子ちゃま鉄ヲタには馴染みが薄いかもしれませんが、画像が200番台のオリジナルカラー。東北・上越新幹線開業30周年 (2012年) の時に 「 “新幹線リレー号” 30周年記念」 ということで、復刻されるかと思ったんですけどね。
当時はこの200番台が185系とは思えなくてね。 「 “踊り子” で使用される0番台こそ、真の185系」 と信じて疑わなかった私は、200番台に対して敵意剥き出しでした。その200番台が 「踊り子」 に転用されると聞いた時にはもう、狂乱状態でした。その模様についてはいずれお伝えしたいと思います。
【参考文献】
ウィキペディア