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Channel: Club SKRAM ~もはねの小部屋~
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JNR LEGEND (614)

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583系 「彗星」 です。
背後の高架橋は新幹線。ということは、ここは新大阪駅ということになります。時計を見ると9時半を回っていますので、おそらく新大阪に9時22分に到着する 「彗星4号」 ではないかと思われます。乗客を降ろし、塒である向日町運転所 (大ムコ~現在のJR西日本吹田総合車両所京都支所 に回送されるところではないでしょうか。

東日本だと 「ゆうづる」 が、西日本ですと画像の 「彗星」 の他に 「明星」 が客車と電車と両方の寝台車両を充当していました。
基本的に 「ブルートレイン」 とは、客車列車として定義されていますけど、当時の鼻タレ小僧は寝台特急であれば、客車だろうと電車だろうと一括りに 「ブルートレイン」 にしていました。そこがそもそもの間違いなんですが、私も583系使用列車はブルートレインの仲間と思っていました。まぁ、 「寝台列車に限る」 と前置きますけどね。583系しか使わない 「はくつる」 や 「金星」 、 「なは」 はどうするのさ? という声もありますが、 “流れ星” のマークが付いていれば、何だって良かったのさ。

関西ブルトレは、新幹線接続が第一目的。距離もそんなに長くないことから、どうしてもビジネスライクな列車になってしまいます。昭和40年代までは食堂車も営業していましたが、それも徐々に営業を止めてしまい、客車の方は早々に編成から外されてしまいまして、電車の方は連結こそしてるけど、営業はしていないという有様でした。サシ581にはMG (電動発電機) が搭載されていたから、外したくても外せなかったというのが当時の実状。そういう意味では、東京駅発着の東海道ブルトレに比べて人気は上がらないし、利用率は良かったんでしょうけど、結局 “寝るだけ” の寂しい列車になってしまうんですよね。
「寝るだけ」 とはいっても、ぐっすり寝られれば良いけど、583系の寝台はヘッドランスクリアが無いに等しいほど、窮屈この上ないです。全車、二段式だったらもう少し評価も変わったでしょうけど、現実は忍耐の14時間になります。だから事情を知っている利用客は、電車じゃなくて客車を選んでいたようですしね。昭和50年代に入れば、関西ブルトレは皆、二段ハネの24系25形か14系15形に統一されていましたしね。

私は、 「明星」 よりも 「彗星」 の方が好きでした。

【画像提供】
タ様
【参考文献・引用】
時刻表1980年12月号 (日本国有鉄道 刊)


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