「赤い車体に白い腹巻き」
これが昭和における京浜急行の標準塗色でした。それが1990年代に入って、赤い車体はそのままに、窓周りに白くするというツートンカラーになり、今の京急の標準カラーになりましたが、そのカラーを最初に採用したのが画像の800形電車です。当時の京急としては斬新なイメチェンだったのですが、800形登場の4年後に登場した快速特急専用の2100形も同様の塗装パターンにした際に、 「このツートンカラーは優等列車専用の塗色とする」 ことになったので、800形は在来車同様の 「赤い車体に白い腹巻き」 という出で立ちに変更されました。21世紀になって 「優等列車専用」 だったはずの赤白のツートンカラーが通勤車両にも波及し、ついには京急車両の標準カラーとなったことを目の当たりにした800形は 「じゃあ、あたいの塗装変更はなんだったのよっ!!」 と憤慨したとかしなかったとか・・・。
それから今の800形は6両固定になっていますが、デビュー当初は画像のように3両固定で、これを2つ繋げた6両編成で運用されていました (1982年には一部が中間車を新造して6両固定化され、1986年の最終増備車は最初から6両固定) 。
3両固定で登場した背景には、品川-神奈川新町間で6両編成が停まれるホームが少なかったことがあり、梅屋敷駅などではホームから列車がはみ出し (タモリ倶楽部用語でいうところの 「ハミ電」 ) 、ドアカットして乗降させていました。これに対応するために、800形は3両固定になったという説があります。700形とか1000形の普通運用は4両編成だったこともあって、輸送力の減少が懸念されましたが、最後は全て6両固定になったことを考えると、 「運用の自由度を高める」 にはちょっと限界があったのかなとも読み取れます。
3両編成の運用は1985年頃まで存在したようで、空港線を始めとする支線や区間運転の普通運用などに投入されていたみたいです。大師線にも入線したのかな? 因みに現在の800形は6両固定なので、4両しか入線出来ない大師線には入りません。
800形は基本的には700形の後継車両という立ち位置だったようで、普通をメインに急行にも使われましたが、正面非貫通のため、泉岳寺への入線や都営浅草線との直通運用には用いられませんでした。
昭和の時代は優等列車運用といえば急行が最上位だった800形も、21世紀に入ると朝と夕方夜間を中心に、空港線乗り入れの快速特急や特急、エアポート急行にも充当されるようになったようです。
今や、京急最古参となった800形。登場当初は 「ダルマ」 という愛称がありましたけど、800形が京急最後の片開きドア車・正面前照灯一灯の “一つ目小僧車” になりました。片開きドアと “一つ目小僧” 仕様もまた、昭和の京急を象徴するスタイルでしたよね・・・。
【画像提供】
は様
【参考文献・引用】
ウィキペディア (京浜急行800形電車)