機 番:12号機
新 製:昭和23年8月23日製 造:三菱重工/三菱電機製造番号:No.662 (三菱重工) 、No.347 (三菱電機)新製配置:沼津機関区最終配置:東京機関区廃 車:昭和59年10月1日【改造履歴 (一部) 】昭和24年 4月19日 :主台車担バネをコイルに改造 (試験的) 。昭和24年10月 6日 :パンタグラフをPS14に換装 (施工は浜松工場) 。昭和28年 1月25日~:新車体に載せ替え (施工は川崎車輌で3月26日まで入場) 。新車体時は大窓。旧車体はEF13 9号機に移植。昭和40年 3月 4日~:外板塗色を変更 (青15号+クリーム1号の直流機関車標準塗色) 。施工は鷹取工場で3月23日まで入場。昭和45年12月15日~:避雷器をLA15に変更 (施工は広島工場で12月24日まで入場) 。昭和51年 9月 3日~:正面窓をHゴム支持に改造、ワイパーをWP50に換装 (施工は広島工場) 。【転配履歴 (赤字で記しているのは貸し出し扱い) 】昭和24年 9月13日:浜松機関区昭和24年12月 8日:沼津機関区昭和25年 3月 1日:浜松機関区昭和26年 6月 9日:沼津機関区昭和27年 3月21日:浜松機関区昭和34年 6月 8日:静岡機関区昭和34年 6月25日:浜松機関区へ返還昭和36年10月 2日:米原機関区昭和37年 1月12日:浜松機関区へ返還昭和37年10月 1日:広島運転所昭和41年11月 2日:下関運転所昭和50年 3月11日:宇都宮運転所昭和51年10月16日:東京機関区
12号機はいわゆる 「59.2改正」 の段階では最若番の残存機でした。新製直後は浜松と沼津を行ったり来たりしてたらい回し的な扱いを受けていましたが、昭和37年からは山陽路に活躍の場を変えて、広島→下関への転配はありましたが、山陽での運用は長きに渡りました。
11号機とともに、50.3改正の影響で宇都宮運転所に転属になりましたが、EG改造はされず、1年ほどで東京機関区に転属、ここが終の棲家になりました。この間に更新改造が行われており、その時に大窓→小窓・Hゴムへの改造がなされたものと推察されます。
寝台特急 「あかつき」
昭和49年 東海道本線芦屋-西ノ宮間 (画像提供:い様)
81系和式客車を牽引して来阪。
東海道本線大阪駅 (画像提供:う様)
12号機最後の晴れ舞台、臨時特急 「踊り子」 仕業。
東海道本線横浜駅 (画像提供:タ様)