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Channel: Club SKRAM ~もはねの小部屋~
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早春関西旅行紀・その5

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前回は 「梅田駅に着いた私は、そのまま大阪駅に向かい、新世界に行った・・・」 ところで終わりましたが、その前に行った所がありました。
 
阪急梅田駅に来ると必ず撮る “お約束” の絵面。私鉄最大のターミナルを体感するポイントですね。
梅田駅が最初に出来た時は、今の阪急うめだ本店のある辺りで、単線の頭端式ホームでした。後に梅田-十三間の高架化によって梅田駅も高架駅になったんですが、省電 (→国鉄→JR)  の大阪駅高架化に伴って、阪急が地平ホームに切り替えることになりました。以来、拡張を重ねましたが、増える利用客と列車に対応しきれなくなり、現在の阪急三番街辺りに新たな梅田駅を設置することになりまして、駅と一緒にショッピングモールも併せて建設することにしました。そのショッピングモールこそ、今の三番街や17番街だったりします。
こうして1966年に着工し、1973年に京都線の1号線ホームの完成によって全ての工事が完了。今の阪急梅田駅が完成したのです。
 
さて、梅田駅に着いた私は、今度は神戸線に乗り換えました。目指したのは塚口。
ここから分岐する伊丹線には、最後の “方向幕未装備車” が残されていて走っているという情報を得ていました。
近年の阪急は、車両のレストア工事が積極的に行われており、従来、方向板を使っていた車両はレストア時に方向幕を装備して、尾灯と標識灯を運転台窓下部に取り付けたりと顔面整形を施しておりますが、それをまだ行っていない車両が僅かながら残されているそうなんです。でも、いつまでも “昔の顔” のままでいられるとは限りませんし、私も実際に “昭和30年代・40年代の阪急顔” って見たことがありませんので (厳密に言えばおそらく 「見たことはあるけど乗ったことと、撮ったことはない」 という表現になると思います) 、その姿を拝むべく、伊丹線が発着する塚口駅に向かったわけです。
 
塚口駅には特急は停まりませんので、やむなく各駅停車に乗ることになります。といっても、梅田から5駅ですので、特に苦にはなりません。
先日、大きな火災があって “昭和の面影” が焼き尽くされてしまった十三や、競馬場と真子さんの母校が至近にある園田を通り過ぎて、塚口に到着しました。
 
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この日は残念ながら、顔面整形を施した更新車が運用に充たっていました。
塚口-伊丹間はこの車両でピストン輸送しているわけではなく、もう一本走っていると考えて、この車両が塚口を出発した後もしばらく待っていたのですが、やって来た車両は同じ更新車でした。
未更新車を見つつ、伊丹線も乗ってみようかという算段でしたが、この日は諦めて、翌日訪れることにしまして、神戸本線に乗って、また梅田駅に戻ります。そして今度こそ、新世界に向かうべく、大阪環状線に乗り換えて新世界の下車駅である新今宮に向かいました。と、そこへ、ファン仲間のべさんから 「一緒にランチでも如何ですか?」 というメールが入りました。そのメールを受信したのがまさに新今宮に到着した時だったのですが、迷うことなく大阪に引き返しました。
 
大阪駅の構内でべさんとあさんに再会し、べさんは先頃オープンした 「グランフロント大阪」 の中にある焼肉屋へと誘ってくれました。何でも鶴橋に本店がある有名な焼肉屋だそうですが、大阪は粉ものが先ず頭に浮かびますけど、鶴橋を中心として焼肉も結構有名なんですよね。
 
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これは私が食べたお昼。確か 「厚切りロース定食」 だったと思うんだけど・・・。
何よりも、肉がめっちゃ柔らかかったことっ! これ食っちゃったら、焼肉チェーン店では食えないですね。
それから鋏で肉を切ったり、韓国特有の鉄の箸など、本格的な焼肉を実は初めて食べたりしました。
べさん、良い場所に連れてっていただき、ありがとうございました。
 
昼食後、もう一人のファン仲間であるなさんと合流しました。
コーヒーを啜りつつ、 「今日のイベントはどんなことをやるんやろね」 とあれこれ推察します。この日は石野真子ファンクラブのメンバー限定によるイベント当日。大阪の某所で行われるのですが、イベントの内容は大まかに漠然と公表はしているものの、具体的な内容についてはトップシークレット。故に、期待と不安が入り乱れます。
「さて、そろそろ行きはりましょうか」 と店を出まして、私は仲間と別れます。
「えっ!? もはねさんはイベントに行かないの?」
行きませんよ。行きたくても、落選したので行けません。
仲間とはイベント終了後に再び落ち合うことにしまして、私は通天閣に向かうことにしました。
天王寺まで来たものの、イベントは4時頃に終わる予定らしく、そうなると、通天閣もそんなに長居出来ないなということで、通天閣を含めた新世界への訪問は翌日に持ち越そうということで、天王寺で電車を細々と撮っていました。
 
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大阪ミナミの大ターミナルである天王寺駅には、大阪駅よりも国鉄形車両が多く来ることでも知られ、中でも103系に至っては、画像のスカイブルーやウグイス、そしてオレンジの3色が見られます。今や103系はJR西日本とJR九州にしか生息していませんが、3色の103系が見られるのはここ天王寺だけとあって、注目されています。
 
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天王寺の駅前に聳え立つ、日本一の超高層ビル、 「あべのハルカス」 です。
訪問時は一部分オープンでしたが、3月7日にグランドオープンしました。
グランドオープン初日は、平日にもかかわらず、14万人が訪れたということ。
展望台からは関西が一望出来るそうですが、東京のスカイツリー同様、落ち着くまでにはかなりの時間がかかるのではないでしょうか。よしんば展望台に行けたとしても、画像のような曇り空じゃ絶対に意味がありません。やはり晴れた日に行かないと・・・。
 
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天王寺駅前を通る谷町筋 (あべの筋) の陸橋から大阪環状線と新世界を眺めます。
画面左端にある線路は廃線になった南海天王寺支線のもの。
南海電鉄は日本最古の私鉄の一つに数えられていますが、この天王寺支線は南海電鉄の前身である南海鉄道が1900年に天王寺-天下茶屋を開業させたことに始まります。
今も昔も南海の起点は難波ですが、国鉄との接点は無く (当時の国鉄湊町駅 (現在のJR難波駅) と南海の難波駅は離れている) 、天王寺だけが唯一の南海と国鉄の接続駅でした。ですから、この天王寺支線は国鉄と接続する唯一の路線ということで重宝されたのですが、それが一変したのが1964年に新今宮駅が開業したこと。新今宮駅の開業によって、南海と国鉄は乗り換えが出来るようになり、天王寺支線の利用者は激減。さらに追い討ちを掛けるように、大阪市営地下鉄堺筋線の天下茶屋延伸に伴う用地確保と南海本線の高架化に伴って、1984年に天下茶屋-今池町間を廃止、南海本線と接続しなくなった孤立路線となってしまいました。
それでも、地元住民の救済措置という意味合いで、飛田本通という駅が設置されますが、特殊な地域事情などから利用客は殆どいなかったとされています。
こうして、1993年に堺筋線の天下茶屋開通に伴って天王寺支線も廃止されてしまいました。
廃線跡はまだいくつか点在している部分もありますが、線路が残されているのはここだけになっているようです。
 
時計を見ると、3時近くになっています。
私は待ち合わせ場所である大阪駅に戻ろうとしますが、せっかくなので、荷物を軽くしようとホテルに先ず行きました。
今回も 「新大阪ワシントンホテル」 でお世話になります。もう、定宿ですね。
 
というわけで、この続きはまた今度。
 
 
 
 
 
 
 

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